こんなミルキIF│最終章(44-)

 
 44

「あのさ。来るなとは言わない。だけど、いったい何日泊まる気?」

 クロロが居なくて1人でゆっくりと過ごせると思ったら!
 なんでこうも、オレは1人で暮らせない!

 仕事の合間。
 コーヒーを煎れながら、リビングでゲームを楽しんでいるシャルナークに問いかける。
 シャルナークはクロロが来なくなって以来、結局ずっといる。
 今日で何日目だ?
 しかも、昼間は流石にどっかにいくだろうと思っていたら甘かった。
 オレが仕事部屋にこもっている間、ずっとリビングでテレビ見ていたり、持ち込んだゲームで遊んでいたりしている。
 クロロの書庫となっていた部屋がそのまま、シャルの私室となって、もう同居状態になっていた。

「オレの携帯が直るまでだけど?」

 さらりと言う小悪魔は、ゲームをやっていた手をとめるが、ソファーに座ったまま。
 顔だけは、こちらを向いているから、話す意思はあるのだろう。

「ならしっかりと直しなよ。ゲームばっかりやっているじゃないか」
「そうしたいのは山々だけど、今週末にならないと、パーツが手に入らないんだよね」
「知らないよ! 大体自分の家で待てばいいだろ?」
「そうしてもいいけど、困るのはラクルだよ?」
「は?」

 何故オレが困るんだ?
 シャルがいない方が、仕事もはかどるし、家事の手間も減っていい事尽くめな気がする。

「パクは、ここに住んでいるの、オレだと思っているからね」
「はぁ!? なんでそんなことに!」

 さらっと爆弾発言をするシャルナーク。

「パクの立場から考えて、団長の隣に誰か住んでいる。それは知らない人ってなったら、不安になるだろ?」

 た、確かに。

「んで、オレが住んでいることにして、ラクルの姿を見られたら友達として紹介。そういうシナリオなわけ」

 もっともすぎて何も言えない。
 確かにそういう状況になっているのなら、シャルが居ないと困る。
 当分引きこもりする予定とはいえ、生活音や生活の痕跡は隣に住んでいればわかるだろう。
 誰も住んでいないという嘘は通じない。

「……オレ、ホテルに行こうかな」
「それでもいいけど、ホテルから電脳ページ使うとセキュリティ甘いよ?」

 うううう。痛いところをついてくるシャルナーク。
 今は仕事が立て込んでいる状態で、電脳ページの仕様は必須だ。

「ま、自業自得ってやつだよね」

 したり顔で言うシャルナークは、とても凶悪顔に見えたのはきっと気のせいじゃない。

「すんごいムカつくんだけど!!!」

 その台詞にシャルナークは笑い出し、オレは憮然としながら、コーヒーを持って自分の部屋へと引きこもった。
 気にいらないし、不本意だけど。
 当分このシャルナークとの同居生活が続くと諦めるしか方法がないようだった。





 45

 この日が始まりであり、そして終わりだった。

 オレは家族以外の他人に対しての興味は薄く。
 クロロやシャルに対しても、例外ではない。
 もちろん情はある。
 だけど、普段何をしているか。どういう行動をしているか。
 それに至っては、自分に関係しない限り、聞く事はなかった。

 もしも、オレが気にするタイプであったのなら……。




 夜。
 20時すぎに、訪問を告げるチャイムが鳴った。
 インターホンを見ると、ドアの向こうにパクノダの姿。

 家にあがらせない方向で!
 と懇願し、シャルにインターホンに出てもらう。
 そのやり取りの様子を見ると、どうも旗色が悪い。

 要約すると、
 クロロが女をつれこみ、パクノダは茶でも飲んでこいと追い出された。護衛の任もあるから、遠くへ行けず、外で待っているわけにもいかないから、入れてくれ。
 ということだ。

 この階はすべてクロロ所有で、空き部屋はあるわけだけど、椅子ひとつない部屋にいろとも言いづらく、当然のごとく外で待っていればとも言えず。
 シャルナークはパクノダとは子供の時からの付き合いであり、逆らいにくく突き放す事もできず。「ラクルごめん!」と謝罪してきた。
 パクノダの訪問を許可するしかなさそうだ。
 可能ならば家に上げる事なく済ませたかったのだけど。

 カップを用意し、コーヒーメーカーをセットし、部屋へと引きこもる。
 その時、パクノダに台所には入れさせるなと念を押すのを忘れない。
 シャルもわかっているので、了承する。
 台所には毒が多々置いてあるので、見られたら普通に警戒されるのは間違いない。

 余談だが、シャルがその毒の存在を知ったとき、ちょっと驚いていた。
 オレが毒の耐性を付けていると、今まで知らなかったから。
「ラクルの癖に生意気」といつもの苦情を言ってきたが、納得もしていた。つい先日、シャルを毒で黙らせた件は記憶に新しい。

 パクノダはオレの存在に気がついたようだが、部屋に入ってくることも、紹介に呼び出される事もなかった。
 その後、クロロからの電話を受けて、そのまま帰っていった。




 オレがゾルディックの仕事のため引きこもっている間。
 約2週間の間に。
 パクノダの訪問は全部で2回あり、何事もなく終わった。



 そして。
 2週間ぶりに訪れた研究室で。
 聞く事になる。

 ケリーが死亡したと――――。





 46

 正確に言うと、ケリーは行方不明だそうだ。
 1週間前から帰っておらず、彼女の持ち物である血痕のついたカバンだけが遺品として見つかった。
 それでも両親は希望をもって探したが、とうとう諦め2日後の休日、葬儀を行うとのこと。
 はずれとはいえ、ヨークシンでは行方不明者が出ることは少なくない。1週間以上手がかりさえなかったら、その後に見つかることはない。

 淡々と声小さく、事実だけを告げる、エド。
 聞いていて辛くなったのか、顔をうつむけながらミナセは部屋を出る。
 ゼルも辛そうに、顔を見せないようにし、コブシを握り締めていた。

「今日来なかったら連絡を入れようと思っていたんだ。
 葬儀は明後日だから――」

 この地域の葬儀は、郊外の共同墓地に故人の入った箱が埋められる。その上に名前が彫られる。だが、ケリーの場合は、中身のない箱が埋められることになるのだろう。彼女の思い出の品だけが、存在した証として、土の下に眠るのだ。

「XXXX番街のYYで待ちあわせしてから行くことになっているけど、それでいいよね?」

 教授を含めた研究室のみんなで、集まっていくんだ。
 とエドは続ける。

 これが学校という世界の上に成り立つ仲間意識。
 一般の世界の群れ方。
 そして、普通のヒトが感じる、死の在り方。

 オレは目を閉じて――。
 そして、目を開ける。

「オレはいけないよ」

 行ってはいけない。

「確かに急で用事があるかもしれないけど。でも! ケリーの葬儀だよ? よほどの大事じゃなかったら、都合付けなよ」

 そうじゃない。
 用事なんて、もう終わった。
 休日に大事があるわけじゃない。

 そうじゃなくて。
 オレには資格がないんだ。

 言えない。言うわけにはいかない。

 オレは一般のあり方に混じって、人の死をいたみ、冥福を祈る立場にいないことを。
 人の死を送り出す死神なのだから、その場に行く訳には行かないのだと。

「ラクルっ」
「何回言われても、オレは行かない。行くつもりはない」

 オレは理由を告げず、頑なに断ることしかできない。

 ガタンっ

 椅子がバランスを崩し、床へ倒れ音を立てる。

 とっさに念で身を固めようとしてしまうのを、意図的にはずす。

 鈍い音が響き、同時に頬に衝撃が響く。
 思いのほか強く来た衝撃に、自分の座っていた椅子が床と摩擦しながら後退した。

「お前いい加減にしろよ! 休む前はケリーに酷い事言い、そして今度は葬儀にいくつもりはない。そこまで薄情なやつだとは思わなかった」

 痛む頬を意識的に無視し正面を見ると、振りきったこぶしを下げ、ゼルが怒り蒸気した顔で立っていた。

 彼は椅子を倒しながら勢いよく立ち上がり、少しはなれたところにいるオレへと向かって、こぶしを握り締め殴りかかったのだ。
 オレはすべて見えていた。気がついていた。よけることもできた。
 だけどあえて殴られた。

 一般のフリをして、一般に混じった。
 だからここも一般のフリをして、葬儀に行くといえばよかったのだ。

 それが出来なかったのは、オレの我侭だ。
 一般としてだましているのは、オレの罪だ。
 だから1回殴られるぐらいは、我慢しようと思った。

「ゼルっ! やりすぎだよ。事情があるかもしれないじゃないか」
「エド。残念ながら、君が言うような理由も事情も、何もありはしない」

 オレは立ち上がる。

「仲間ごっこはもう終わったんだ」

 そう自嘲するように、吐き捨てオレは背を向ける。
 もうこの学生生活という真似事も限界なのだ。オレは選んだ世界が違う。
 オレは彼らの中に居るべきではなかった。

「お前っ!!!!」

 ゼルの怒声が聞こえる。
 彼には皮肉に聞こえてしまったのかもしれない。だけど、オレは訂正するつもりはない。

 廊下に出て扉を閉めると、机を叩きつける音と、ゼルの声が聞こえたが、オレはそのまま後にした。

 もうこの研究室に来る事はないだろう。
 仲間という甘い夢は終わりを告げたのだ。





 47

 澄み切った深い青。
 その青さに、まぶしさに当てられて、オレは上を見ることが出来ないでいた。

 1つ先の丘の向こうでは、死者を送り出す鎮魂歌がしめやかに歌われていた。
 風にのり、涙と嗚咽をつづる音と供に、こんな離れた場所まで届いてくる。
 距離の遠さゆえに、人間は米粒ぐらいの大きさにしか見えないが、喪服に身を包み、棺に向かって祈る姿が見えた。

 オレは大きな木の元で、1人その様子を見守る。
 手には花。そして、喪服にも見えなくもない、黒い上下の服に身を包み、木の影からひっそりと。

「見る目なさすぎなんだよ。ケリーは」

 オレは丘の先にむけて、呟く。
 もし届いたとしても、聞くべき相手も、亡骸さえも無い事はわかっている。
 だけど。霊魂を信じるわけじゃないけれど。
 彼女を送りだす催事場に、来ているかもしれないと、身守っているかもしれないと。語りかけるのだ。

「クロロをイケメンといってキャーキャー騒いでいたり、オレのことを良い人呼ばわりしちゃってさ。
 蜘蛛とゾルディックなんて、裏の世界で悪名高いっていうのに」

 本当に見る目が無さ過ぎる。危機感がまったくないよ。

 ぱっと見危険そうな奴なんて、三下にすぎない。そんなやつらを注意したって意味なんかない。
 本当に危険な存在は、ぱっと見普通で、分からない。
 だけど良く見れば違うのだ。
 ニオイが違う、目が違う、雰囲気が違う。
 人によって感じ方は違えど、そういう人間は何かが違うのだ。

 だけど。君はそれを見つけること、出来なかった。
 天然でぽやぽやしてて。
 危機感なんてこれっぽっちも持ち合わせていなかった。

「――――本当に馬鹿だよ」

 行方不明だからと、遺体がないからと。期待を持っている人はいるかもしれないけど。
 オレは死んでいるだろう、と。確信に近い思いを抱いている。

 遺体は念の助けがあれば、すぐに消すことができる。
 このヨークシンという土地には念能力者がたくさんいる。だからこそ多発する、行方不明という死者の数。
 ケリーもその中に列挙されただけ……。

「ケリー。白状するよ」

 オレは今までたくさんの死に関わってきた。
 他者の死に対して何も思わなかった。
 だけど。

「正直何とも思わないと思っていた。
 ほんの半年ぐらいしか、かかわりが無かったし。友達でさえない、ただの知り合い程度の間だと思っていたんだけど」

 考古学の研究室はただの過程で。
 ケリーを始め、研究室のメンバーとの関係はただの仲間ごっこ。面倒を起こさないために当たり障りなく過ごしてきただけの、戯れのはずだった。
 だけど、どうしてかな。

「――君の死が少し悲しいよ」

 こんな風に他人の死を悼む資格なんてないはずなのに。
 そんな感情は忘れて持ち合わせていないはずなのに。

 なぜだろう。
 そう思ってしまうのは、自分がなりきれていないからなのか。
 自分の弱さなのか。

 それとも両方か。

「オレは弱いんだろうな。精神的に」

 一般から逸脱した死神(オレ)がこうやって、追悼する意味なんてない。
 そうわかっていても、真似事をしたくなる。
 少しでも君が安らかに眠れるように。

「……ごめんな」

 オレは手に持っていた花をその場へと置く。
 ピンクと白をあわせたフワフワした花束。きっと、彼女が好きだろう花の組み合わせ。

 墓前に添える事はできないけど。
 この位置ならきっと見えるよな?

「オレはこれくらいしか、出来ない。何もできなくて……ごめん」

 途切れなく続く歌と。
 埋められていく彼女の思い出を背にし、その場を立ち去った。

 次の生(せい)では、今度こそ普通の男をみつけろよ?

 死後の世界があったとしても、オレとは行き先が違うから。
 もう二度と会うことはないだろうな。





 48

 オレは授業に行くことも。研究室に行くこともやめた。
 神字の研究室に直行し、校門が閉まるギリギリの時間まで資料を読み進めた。
 そうなると必然的に、ゼルやミナセと合う事はなくなった。
 エドはこちらにも来ることがあるのだから、いずれ会うとは思うが、葬儀後数日間は来ることはなかった。

 彼は彼なりに、友人の1人が欠けたという喪失感と戦っているのだろう。
 彼らは仲がよかったし、付き合いも長い。

 オレは1人で黙々と読み続ける。
 クラーク教授は時々顔を出したが、特に何かを言うことはなかった。
 少し悲しそうな顔をし、「ほどほどに」と注意するぐらいだった。

 オレは本を読む。
 朝から晩まで。
 そして帰宅して寝て。
 次の日はまた本を読んだ。

 早く神字の勉強を終わらせて、パドキアに帰ろう。
 友達も、知り合いも、オレには不要だ。

 ゾルディックの教えは正しい。
 不必要な付き合いはいらない。


 ◇


 静かな空間。その中にギィと扉の金具が低い音を立てる。

「やっぱり、ここに居た」

 エドのあきれるような声。
 オレは顔を上げることなく視線だけで確認し、すぐに書面へと戻す。
 彼は大げさすぎるほどの溜息をもらし、扉を閉め中へと歩を進める。
 オレが視線も向けず、存在も無視している。それに気がつかないわけがないのに、エドは気にする事なく、すぐ近くの椅子に腰を下ろした。

「久しぶりだね」

 彼は身体をこちらに向け、オレへと話しかける。
 最後にあったのは、ケリーの葬儀の知らせを受けた時。すでに1週間ほどたっていた。
 確かに久しぶりといえよう。
 だがオレはその台詞に頷くことなく、さらに書籍から目も離さないで、存在の黙殺を続ける。
 しかしながら、彼はへこたれる事なく、続ける。

「あのさ。ラクル。
 これは、僕の単なる予測なんだけど」

 山積みにしてある本の向こう、彼は肘を机に乗せて話しかけてくる。
 オレは本の上から見えてしまうエドの姿にほんの少しの苛立ちを感じ、椅子を回して視界からはずした。
 エドは苦笑顔を一瞬浮かべるが、すぐに真顔になり話を再開した。

「もしかして君は、僕の危険を知っていたように、ケリーの事ももしかして感づいていたんじゃないか?
 だけど、止める事が出来なかった。
 そのことにより罪悪感に苛まれ、葬儀の参加を辞退した。そして今はそれを忘れるが為に、無心に神字を学んでいる……」

 オレはひたすらエドの存在を無視し続け、存在を無いものとして本に没頭しようとした。
 だけども真横で話される言葉はいやがおうでも耳へと届き、オレの思考をかき乱す。
 考えないようにしていた事。
 その一端に触れ、情けない事にほんのわずかとはいえ、動揺を外へと出してしまう。

 エドはそれを感じ、やはりそうなのかと確信を得たのか、悲しそうとも、哀愁とも言える顔を浮かべた。

「ラクルは優しすぎる。
 ケリーの死を自分の責任のように思う必要はないと思うよ」

 オレはパタンと持っていた本を両手で閉じる。

 優しい?
 少しまえにも言われた台詞。
 この台詞を言われるのは2回目だ。だけども両方供にそれは勘違いでしかない。
 その彼女の前でも、この目の男の前でも、オレはラクルであって、ミルキじゃない。自分をさらけ出しているわけじゃない。

 閉じられた本は、静かに机の上へと置かれる。

「エドはオレのことを何一つ知らない。だから勘違いをしてそんな台詞が言えるんだ。
 オレは優しいといわれるような存在じゃない」

 姿勢を戻したオレの目線と、エドの視線がぶつかる。

「葬儀の辞退も、神字の勉強も君の予測は間違っている。
 葬儀には単純に行く気がなかっただけで、勉強は本来の目的に沿っているだけだ。不必要な寄り道はやめただけだ」

 オレはぴしゃりと言い放つ。
 エドの予測はただの妄想で勘違いだと、断言する。
 そうするのだが、彼はオレの表情をしっかりと確かめた後。
 静かに首を振った。

「そう自分に言い聞かせている。そんな風に聞こえるよ」

 思わず息を飲み込む。

「違うっ!」

 言い聞かせている?
 そんな事ない。すべて真実だ。

「違わない。
 確かに僕はラクルのことをよく知らない。
 だけど、君の様子をみていると、僕の予測の方が正しい。そう思える」

「それはエドがオレのことを知らないからっ」

「だったら、教えてくれよ。話してくれなきゃ分からない。
 でもそうじゃなくても、分かる。目を見ればわかる。 君の目は自分のエゴで動いている人の瞳をしていない。ラクルの目は……、自分を責めているようにしか見えない」

 エドは目をそらすことなく、ゆっくりと声音を上げて断言した。
 彼の視線は迷いがない。
 オレの主張は嘘だと言い張っている。

 先に目をそらしたのはオレの方だった。

「何故そこまでオレを善人として扱おうとするんだ? 正直オレには理解できない。
 エドを助けたのはただの気まぐれで、善意からじゃない。
 ケリー……の事も、まったく予期できなかったわけじゃない。だけど知っていて放置した。助けようともしていない。彼女が死んだ理由の一端は間違いなくオレにある。
 それでもなお、オレは善人だと言うのか?」

 そう。オレは見殺しにしたのだ。
 可能性としてはあるとおもっていた。だけど目をそらしていた。
 彼女を殺した犯人が誰か。予測を立てる必要もなく、聞いた瞬間にわかった。

 オレはこの町、そして周辺の能力者情報は網羅している。死体を1つ完全に無かったものとして、念に処理させる能力者。それは誰なのか。
 分からないはずがない。

 想像がついても。オレはその事実を確かめる気はない。
 突き詰める気もない。
 いや、突き詰めて答えを知りたくなかった。

 オレは一度。
 幻影旅団の仕事に、こっそりと横から手を出している。
 モノは盗んでいないが、人をひとりその場から遠ざけた。
 クロロにとって、幻影旅団という存在はヘビのいる藪である。オレが不用意に触ってしまった。
 その可能性は捨てきれない。

 エドは生きたが、ケリーは死んだ。
 その原因も辿れば、オレが燭台(しょくだい)の場所をシャルナークに教えた事に始まる。
 間違いなくオレは加害者だ。

「ケリーの時も訳をいえない理由があったんだろう? じゃあ仕方ないじゃないか!」
「知ったような口を叩くな。エドには何も分からない」
「何でも聞く。だから教えて欲しい。君は一体何をかかえているんだ?」

 話題は変われど、エンドレスに陥る。
 エドはひたすらオレに話せと言い募のり、オレの話せない理由さえも聞きたがる。
 君に理解できるわけがないのに。
 オレ達は善悪を別にしても、立居地が違う。それゆえに理解は不可能だ。

 オレは立ち上がり、机に手を置く。

 軽く置いただけの手。
 エドは何をするつもりだ?と顔に出しながら、オレと手を凝視する。

 オレは彼の様子にほのかに苦笑する。
 ただ置いただけに見えるかもしれない。だけど、念を取得している人間には違うものが見える。
 オレはオーラを手に集めていた。
 そして、彼の見守る中。手の位置を動かさずに、オーラを手の平から放出し、机にダメージを与えた。

 ミシリと机はきしみを上げて、ヒビをはやして2つに割れる。

「……ネン?」

 目を見開きながら、エドは呟く。
 つい先日までは、念の存在も知らなかった彼。
 いつの間にか、教授にその存在を聞いていたのだろうか。
 だけど。彼のオーラは未だに留まることなく、流れ続けている。精孔も開いていない。

「君がこれくらい出来るようになったら、少しぐらいは話してやるよ」

 そういい残し、割れた机と、驚いた顔をしているエドを残し、オレはその部屋を出た。
 本をよみたくも、エドが邪魔し続けるのなら、今日は不可能だ。
 これで念を覚えるまでは、オレに近づくことも、理由を募ってくることもない……と信じたい。

 エドがオレに近づこうと思っても、オレ達はあまりに違いすぎる。





 49

 我が家に戻り、家の玄関の扉を開ける。
 出迎えてくれる人はいない。

 今日は早く帰ってきたので、まだ外は明るかった。
 最近は暗くなってからの帰宅ゆえに、最初に電気をつけるという作業がまっているのだが、今日は必要ない。
 その1行程がないだけでも、孤独感を感じなくてほっとした。
 パドキアにいるときは、常に家にいる生活であったし、こちらに来てからはなんだかんだと来客の毎日で、うるさいと思うことはあっても、寂しいなんて思うことなんてなかったから。

 ――だから。
 帰って電気をつける。
 それがこんなにも、嫌な作業だなんて思わなくて――。
 オレは弱くなってしまった。
 家族以外の絆を感じてしまって、弱くなってしまった。
 そう思ってしまうのだ。




 ゴトーの仕事を手伝い終わって、学校に通いだしてからもう2週間ほど。
 状況変化の激しい2週間だったと思う。
 学校では、ケリーの死亡に始まり、立ち居地の変化へ。
 私生活では、まずシャルナークの携帯が修復され、この家を出て行った。確か、先週の中ごろだったと思う。
 口数がめっきりと減っていたオレに気をつかってか、元来の気ままさを発揮したのか。
 メールをひとついれて、彼はいなくなった。
 内容は「直ったから、自分の家もどるよ」とそれだけのそっけないもの。
 その後も、前みたいに無意味に来ることはなかった。

 パクノダはシャルの復活でいる必要がなくなったからか、遠目にも見ることはなくなった。

 クロロは1回晩御飯に訪れたが、オレのほうから来訪を控えるようにお願いしたら、彼はひとつ返事で了承した。
 そしてそれ以後、こちらには来ていない。
 前なんかは、何回言っても無断で入り込んでいたのに。

 なんでそんなに、あっさりと?
 嫌な方向に考えが向かってしまう。
 オレは最近、パドキアの実家が懐かしい。



 コーヒーをいれ、部屋へと入る。
 豆をひくのも、ドリップするのも面倒さを感じ、ただのインスタントコーヒー。
 ずいぶん前から存在したけれど、最近になって開封された。そんなビンの中身はすでに1/3が消費されていた。

 部屋の中で低くうなるパソコンの起動音をBGMに、オレは本を読みふける。
 ゾルディックのツテで仕入れた神字の本。
 いくつか所持していたものの、パドキアに帰ってから読めばいいと後回しにしていた本たち。
 だいぶ理解も進んだおかげもあって、手が止まることなく、すんなりと読むことができた。
 こちらに来た当初はだいぶ苦労していた本だというのに。
 それが今はすんなり読める。
 それは神字の理解が進んだことを示しており……。

 もうそろそろ、帰ってもいいのかもしれない。

 本を片手に、オレはそう思っていた。

 ピーピーッ

「えっ?」

 まるで目覚まし時計のような、無機質な音がオレの思考をさえぎった。
 音源は複数あるパソコンのひとつ。

「警告音? いったいなんで」

 本を投げ出し、キーをたたく。
 重要度、危険度に応じてレベル段階は変えていて、先ほどの音は一番手前の忠告程度のアラーム音だった。
 それほど切羽詰った状態ではないのは確かなのだが、最近特に何かをしたというわけでもなく、いかんせん見に覚えがない。
 なぜ警告されたのか。
 その理由が皆目検討がつかなかった。

 モニタを見つめ、キーを叩く。
 そして、セキュリティがなぜオレに忠告を与えたのか。

 それがわかった時。

 オレは家から飛び出していた。





 50

「何をしているんだい?」

 オレは目の前の女性の肩を、背後からポンっと叩く。
 その女性はビクリと体を揺らし、こちらを振り返った。

「ラクル氏?」

 目を驚きで見開いて、ミナセはこちらを見てきた。
 顔には、「何故?」と書かれているようだった。

 それも仕方ない話だ。
 彼女は周囲にすごく気を使っていた。
 何せ尾行している最中なのだから。

 体を物陰に隠し、ひたすら一人の男の後をつける。
 時間は夕食時で、人通りは多くない。だから、人並みにまぎれることができず、物陰に隠れつつ移動していた。息を殺し、周りの気配に気を配り、怪しまれないよう、ばれぬよう……。

 そんな状態のときに、オレが現れた。
 しかも、突然。
 絶をしていたわけじゃないが、一般人であるミナセと、暗殺一家の手ほどきを受けているオレでは天と地との差がある。
 彼女が気づけないのも無理もない話。
 そして背後から声をかけられたのだ。驚くなというのが無理だった。

 驚きの表情の後、彼女は平静を装い姿勢を正す。
 キリリとした目尻が、少し上がったように見える。

「今は忙しいの。ご用件なら明日にしていただけないかしら?」

 そう言って身を翻し、今まで付けてきた人物がいた方向へと駆け出そうとした。
 だが、そうはならない。
 駆け出そうと動き出した腕を、オレの手が掴み取り、動きが封じられる。

「離してっ」

 眉を寄せ、腕を振りほどこうと力が加えられるが、オレの手がそれごときで外れるわけがない。

「嫌だ」

 ミナセの逆の手が振り上げられる。
 そして平手を繰り出すが、あっけなく不発に終わる。

「とりあえず今日は離して。本当に急いでいるのよ」

 腕をつかまれ、平手はとめられ。
 彼女はオレを睨んで、悪態をつく。
 それでいながらも、チラリチラリと道の先を気にしている。

「もう無理だよ。すでに姿は見えないからね」
「……悪趣味ね」

 オレが尾行を阻止した事実に気がつき、ミナセは声のトーンを落とした。
 彼女が尾行していた男――クロロの姿はもう見えない。




 オレ、クロロ、シャルナークに対し不審な動きをする物体。それを認識したらエラーを返す。
 そういうシステムが組まれていた。
 範囲は街中にめぐらされた監視カメラの映像に移るものすべて。
 それにミナセが引っかかった。
 クロロを尾行する存在として。

 オレはそれに気がつき、ここにやってきた。
 目的は、尾行の阻止……たぶん。
 理性で考えた結果ではない。止めたい。そう思っただけの感情論。
 このまま尾行が続けば、ミナセに待っている結果はひとつしかない。

 ほうっておけばいい。
 そう思う心もある。だけど、なんか嫌だったのだ。
 残り少ないだろう、このヨークシンでの日々。
 その中で、もう面倒事はうんざりだった。何事もなく終わらせて、パドキアに帰りたい。そのために止める。
 そう対面を保っていた。

 オレはこのときは気がついていない。
 止めることも、面倒を引き起こす要因だと。





 51

「もう諦めたわ。だから離して」

 すでに尾行先(クロロ)の姿は見えない。
 それもあってかあせった様子は消え、ミナセは静かに言い放った。手を離しても大丈夫だろう。
 そう判断して、オレはつかんでいた手をそっと離す。
 強く握ったつもりはないのだが、彼女の肌にうっすらと赤い跡が残り、罪悪感がちくりと痛みをうったえた。

「何故邪魔したの? 当然聞かせてくれるわね?」

 彼女の真摯な目が、まっすぐに向けられる。
 その様子はまるで「嘘は許さない」と訴えているようで、生半可なうそなら、とたんに見破られそうな勢いだ。

「逆になぜ尾行なんかしているのか。と聞きたいけどね。尾行なんて褒められた行為じゃないだろ?」

 質問に質問で返す。
 ミナセもわかっているのか、唇を噛みしめ息を呑む。
 少し首をかしげた勢いで、彼女のつややかな黒髪が肩元からパサリと舞う。

「それくらい分かっているわ。でも私がやるしかないのよ」
「何故?」
「決まっているじゃない。ケリーの為よっ!」

 彼女の強い意志が口調と、そして目に宿っていた。
 強い想いがこめられたケリーの名前。
 本当にミナセはケリーのために、それだけのために動いているのだと。そう訴えている。

「ケリーの為と、尾行が何故つながるのかわからない」

 クロロはおそらく犯人で、無謀という事を無視すれば、別段間違っているわけではない。
 だが、クロロが簡単に証拠を出すとは思えない。
 ミナセ、君は何を知っているんだ?
 疑問がわく。

「あの男が怪しいと思っているからよ。あいつはケリーのカフェの常連の男なの。ケリーがイケメンだと騒いでいた、その当人よ」
「常連客なんていっぱい居るだろう? 飲食店なんだから。それに、確かにケリーはイケメンの話はよくしていたけど、それと犯人は関係ないだろ」

 長期連休の間、ミナセがイケメンと会ったというのは聞いたことがある。
 だから顔がわかるのはわかるが、それで犯人だと決め付けるのは、あまりにも早計すぎる。
 オレは彼女のことを詳しく知っているわけではないが、そんな根拠も何もない状態で動くとは思えない。
 どちらかというと、行動する前に頭で考えるタイプだ。
 彼女らしくない。

「何か知っているのか?」

 オレが聞くと、彼女は一瞬傷ついた表情をする。
 すぐに気力で持ち直していたようだが。

「ええ……。彼女の消息が途絶える前に、ケリーからメールが入ったの。“今日告白します”って」

 オレは驚いた。
 最後にケリーと話したとき、告白をするという雰囲気じゃなかった。
 何も言わずに諦める。そんな感じだった。

「告白? 何故……。
 最後にあったときには、そんなそぶりまったく……」

 こぼれる疑問。

「それは、私のせいなの。私が、わからないなら告白しなさいって彼女に言ったの。
 そしたら本当の気持ちが見えるからって。
 ……そんなこと言うんじゃなかった」

 ミナセは思い出し、後悔と懺悔でうつむく。
 声が少々震えている。

 運命の歯車は皮肉だ。
 ここにも歯車の1ピースが落ちていたようだ。
 歯車がそろわなければ回らない、ステージの人形達。
 オレは大きな歯車だったのだが、彼女も小さい歯車だった。

 自責の念で君は動くのか。
 その追いかける先にあるのが、死神だというのに。

「別に告白がきっかけだと決まったわけじゃないだろ? 不安に思うなら、調査している協専のハンターに言えばアリバイを調べてくれる」
「話したわ。あの男がケリーのカフェの常連で怪しいって。でも常連なんて他にもたくさんいるし、あの男にはアリバイがあった」
「アリバイがあるなら、違うんだろう?」

 しらじらしいな。
 オレは表情に出さないよう、気をつけながら言葉を発する。
 思っていること。そして話していることが一致しない。

 アリバイを調べたところで、シャルやパクノダの力によって、監視カメラの改ざんや人間を操り適当にでっちあげられる。意味なんてない。
 そしてクロロが犯人で、告白もきっかけのひとつだと思っていても、口に出すのは逆の台詞。

 だけど。
 オレは真実を告げはしない。
 クロロを売るつもりなんて毛頭ない。第一アリバイの謎解きに協力したところで、意味などない。生半可なハンターでは相手になるわけがないのだ。
 もちろんミナセなんて、塵(ちり)ほどの妨害にもなるまい。

「でもっ! ケリーはおとなしい子よ? 決して自分から危ない事に首を突っ込むタイプじゃないわ。……他に理由が見当たらないのよ。
 私、このまま風化させたくない。犯人を捕まえたいの」

「うぬぼれだね。君ごときが出来ることなんて何もない」

 オレは冷たく言った。

「なっ」

 ミナセの右手が振り上げられる。
 オレの言葉に怒りを感じ、思わず手を出そうとしたのだ。

 だが、それが振りかざされることはない。
 あげられた手首をつかみとり、そのまま壁に突き当てる。
 彼女の体はぐらりとゆれ、オレに支えられるような形で、壁によれかかった。

「いたっ」

 衝突による痛みに、ミナセは苦痛の声を上げる。

「オレにさえ、いいように振り回されてしまうのに、君に何が出来るっていうんだ?」

 ミナセを見下ろし、冷酷に告げる。
 君が相手にしようとしているのは、オレより格段に強く、冷徹な死神だ。
 無知とはコレほどまでに無謀な行動を起こせるのか。
 そう思うと、小さな冷笑が生まれる。

 そして、腕をつかんでいない、もう片方の手をミナセの首筋に持っていくと、一筋の線を引いた。

「もし、この手に刃物を持っていたら、君は死んでいただろうね」

 気丈なそぶりを続けながらも、ミナセの顔色がどんどん青くなっていく。
 ああ。少しいじめすぎたのかもしれない。

 オレは手を離した。
 へなへなとミナセはすわりこむ。

「バカなことは止めるんだな」

「だったら、手伝ってよ。ケリーは言っていた。ラクル君は優しい人だって。
 それに、貴方もケリーの友達のはずよ。犯人を捕まえたいって思わないの?!」

 どうして。この状況でオレが優しいと思えるのか。
 どう考えても違うだろうに……。

「オレは友達だと思ったことはない。ケリーだけじゃなく、ミナセにも、エドやゼルにもだ。そもそも、友達だから、あだ討ちという考えもわからない」

 彼女らの言う友達とは、契約でもなんでもない。
 単に一人で居るのが嫌だからと、群れている間柄だ。いつ裏切りがあってもおかしくない。

「オレと君では、持っている価値観が違う。
 どうしても手伝ってほしいというのなら、4000万Jで依頼を受けるよ」

「そんな大金持っているわけないじゃない!」

 4000万Jは、ゾルディックへの依頼と考えると破格ともいえる安値だ。
 それでありながら、一般企業では10年〜20年ほどかけて稼ぐ金額。
 簡単に支払える金額じゃない。

「貴方思った以上に最低だわ……。
 ケリーがどうして褒めていたのか、わからない」

 ミナセは地についていた腰を上げ、立ち上がる。
 軽く砂を払うと、キリリとこちらをにらみつけてくる。

「そうね。私たちは友達でも、仲間でもない。そういうことね。
 願わくば、もう会わないですむといいわね」

 そう言い放つと、彼女は背を向けて去っていった。
 クロロが立ち去った先、そしてオレの帰る道とは逆の方向へと。

 オレはため息をついた。
 諦めないのなら、また会うことになるだろうな。
 彼女が不振な動きをする限り、オレはその動きを見張るだろう。
 近い将来、また合わない価値観を照らし合わせるのかと思うと、再び深いため息がでてしまう。

 やれやれと、身を翻し帰路へとつく。
 かえってセキュリティシステムに新しい条件付けをするかな。
 そう今後のことを考え歩き出した。

「ラクルがこんなに親切なタイプだとは思わなかったよ」

 いくばくか進んだところでかけられた言葉に、ビクリと体が震える。

「シャル……」

 オレとミナセが話し込んでいた位置から、100M程はなれた場所にシャルナークが腕を組んで壁にもたれながら立っていた。
 まったく、気がつかなかった……。

 絶をしていたのかもしれない。
 話しかけられるまで気がつかなかった気配。
 距離は離れている。
 どれだけオレ達の会話を聞き取ったのかわからない。

 やましいことは何も言っていない。
 そう思っても、心臓がいやに脈動し、冷や汗が出てくる。

「もっとドライで、他人に興味なんてないと思っていたから、意外だったな」
「別に親切にしたつもりはないけど」
「そう? ま、そういうことにしておくよ」

 そうして彼はいつもの悪魔の微笑みを浮かべ、去っていった。





 52

 家のパソコンデスクの椅子に深く腰掛け、背を思い切り預ける。
 ぎしりとスプリングが効いて、背もたれの傾斜が変わる。

「何やってるんだろう」

 何回か繰り返され、口癖のようになってしまったその台詞。
 天井を眺めながら、オレはぽつりとつぶやいている。
 どうも何かが空回りしている気がして、たまらない。

 うまく収めようと画策していたわけじゃないけど、流れに流されて自分の望まない状態になっている。
 そんな気がしてならない。

 とりあえずミナセが助かったことを喜べばいいのか?
 あのまま進んでいたら、間違いなくシャルナークの手が入っていただろう。
 クロロがミナセの尾行に気がつかないわけがなく、シャルに連絡していてもおかしくない。むしろ自然。
 そういう意味では、ぎりぎり間に合った。

 だけど。シャルはどう思ったんだろう。
 会話が聞こえていたかどうかは分からない。だけど、聞こえていたと考えたほうがいい。
 裏切りの言葉を発してはいないけれど、ミナセを助け擁護したと思われても仕方ない。

 ドライで他人に興味がない。
 シャルが言った台詞は、そうなりたい自分の理想像。
 真実はなりきれて居ないだけ。

「とりあえず、システム組まなきゃな」

 気合をいれ、パソコンに向かう。
 冷たくなったコーヒーを口にいれると、味気のない苦味だけが口に広がった。




53

 次の日。
 いつものように神字の本を、研究室で読みふけっていると、エドが入ってきた。
 また来たのかと、思わず肩をすくめる。
 とことん懲りるということを知らない男だ。
 昨日あれだけ拒絶したというのに。

「ミナセに何をいったの? すごい勢いで怒っていたよ」

 呆れ顔で彼は近づいてきて、すぐ近くの椅子に座る。

「別に」

 本から目を離すことなく、そっけなく答えた。
 実際たいしたことを話したつもりはない。

「いいけどね。詳細は彼女から聞いているし」

 なら聞くなよ。
 と悪態をつきたいところだ。
 善良なお坊ちゃんだと思っていたのだけど、割と難癖もつけるものだと。考えを改めたほうがいいのだろうか。

「で、オレを非難しにきたのか?」

 本を置き、エドと向き合う。
 好きな風に言えばいい。非難でも悪態でも。なんでも言え。

「まさか。そんなつもりはないよ」

 しかし、帰ってきたのは逆の台詞。

「ミナセとゼルは意気投合して怒っていたけどね。それはそれで元気があるように見えるし。今まで目に見えて落ち込んでいたから。なんか、怒り心頭って感じだけど落ち込んでいるより、パワーあるよ。
 それにさ。僕は二人とは違うものも知ってるから」

 そういって指をさす。
 先にあるのは昨日念で壊した机の残骸。

「ミナセは4000万という金額に憤慨していたけどさ。プロハンターに頼むならそれくらいの金額はかかるし、天空闘技場のファイトマネーは膨大な金額だって聞いたことがある。
 そして、念を使えるのはそういう人たちだって」

 だから。
 そう区切って。
 再びオレを見つめて言う。

「オレはミナセが言うようにおかしいとは思えない。4000万は妥当な金額の提示だったのだろうし、考え方が違うのも“念”という力が存在する世界で生きているんだから、しょうがないし違って当然だと思う」

 ぺたんと、机の上に手を置き、集中した様子を見せる。
 何も変わらない、オーラが少しゆれたぐらいで、変わらず流れ続けている。

「やっぱり僕には出来ないや。おじさんの指導を受けながら念を覚えようとしてるけど。1ヶ月やそこらじゃ何もかわらないね。
 おじさんも言っていた。簡単には習得できないって。
 ラクルは長い年月の修練を積み重ねて、その力を手にいれたんだろ? ミナセは知らないかもしれないけど、その力は簡単に人に貸せるわけじゃない。だから、金額を提示した。そうだろ?
 それが分かっていて、非難なんて出来るわけがないよ。
 むしろ、ミナセの暴走を止めた。それにお礼を言いたい。ありがとう。ラクル。
 やっぱり、君は優しいと思うよ」

 あー、もう。
 オレは顔を手で覆い、机につっぷした。

 優しくされることに慣れていない。
 優しいといわれることも、理解してもらうことも。
 最初から諦めていて、関係ないと思っていた。

 立ち居地が違うから、わからなくて当然。
 理解されるわけがないからと、最初から壁を作っていた。

 だけど。
 違うのかもしれない。
 カイトやジンがあっさりとミルキであるオレを受け入れたように。
 エドも。本当のオレを受け入れてくれるのではないだろうか。

「オレさ……」

 エドを見ないで、机に突っ伏したまま。話し始める。

「記憶一回なくしてて、いつから使えるようになったかとか、覚えていないけど。
 だけど念を覚えるために、物心つく前から体を鍛えはじめるんだ。たぶん、10歳になる前から訓練とかしていたと思う。実際弟たちがそうだし。
 それが普通とされる、ちょっと特殊な一族なんだよね」

 いきなり話し出したオレに、エドはあからさまにびっくりした気配をよせる。
 どんな顔をしているのか見てみたくなって顔を上げると、予想通りに目が零れ落ちるのではないかと思うぐらい見開き、鳩が豆をくらったようななんとも言えない顔をしていた。

 面白いやつ。
 ふくく。と笑いがこみ上げる。久しぶりにおきた笑いだったのかもしれない。

 オレが笑い出すと、エドも自分の顔がひどいものだったと、気がつきあわてて取り繕う。
 でも穏やかな表情は変えない。

「もしかして、実は強かったりする?」
「それなりに」
「プロハンターになれちゃうぐらい?」
「試験をうければね。受けたことないから分からないけどさ」
「すごいなー」

 エドの質問に素直に答えていく。
 自分がゾルディックだと教えるつもりはなかったけど。少しぐらいはいいかなと思ったから。

「あー、でも。そこまで鍛えられる生活っていうのは、大変で反抗心とか持っちゃったりするのかな」
「確かに死にそうになったことは何回か。でもオレは家族が好きだよ。厳しいけど優しいところたくさんある。感謝している」

 パドキアに居る家族のことを思い出し、オレの顔は緩む。
 思い出すと会いたくなるから不思議だ。





 今までオレは自分のことを語ったことはない。
 何度エドが話せと要求してきても、全部突き放していた。
 それを。
 今オレは語っている。最初からゾルディックというわけには行かないけれど。
 少しぐらいは、いいかなって思ったから。

「鍛えてくれる兄貴や、いろいろ支援してくれる家族にはいつも感謝してる」

 ここに居ることさえ、道楽に過ぎないのに。
 オレが居ない分、仕事は他に回され負担が増えるというのに、それを許してくれている。

「ラクル、人との係わり嫌いそうなのに、家族のことは好きだって顔してる。ちょっと意外。
ルシルフル家って、本当にいい家族なんだな」

 悪気のないエドの台詞にちょっとガクリと肩が落ちる。
 いやいや違うから! 
 幸せな気分に浸っていた頭の端で、クロロの人の悪い笑顔がちらつく。まて、お前どっかいけと、端においやる。

「ちがっ」

 訂正しようと思いつつも、偽の戸籍はしっかりとルシルフルと書かれている。ばかやろう、と悪態をつきたくなるが、今現状そういう事が出来そうもない。
 頭を抑えたくなる思いを抑え、大きく息を吐いた。
 エドは不思議そうに見ているが、さてどこまで話したものか。

「いやさ、ちょっとまあ、複雑で」

 苦笑とともに、ごまかす事しかできないわけで。
 それをうけて、エドは首をかしげるが、色々あるのだろうと深くはつっこんで聴いてくることはなかった。
 ありがたいことである。


「……あのさ」

 ガクリと来た気持ちが持ち直した後、真剣みを増してオレはエドに話しかける。
 幾分声質が低いのは、柄にもなく緊張しているからかもしれない。
 エドもそれを組んでか、顔を引き締めた。

「ケリーの件。悪いことは言わない、追いかけるな。ミナセが真相を暴こうと息巻いているようだけど、危険なんだ」
「心当たりがある?」
「……」

 沈黙は時として肯定となる。だからといって「言えない」といったとしても、肯定と変わらないだろう。

「警察に――――」
「無意味だ」
「なぜっ」

 苦笑? 失笑? 感性の違いに思わず口が歪む。警察に頼って何とかなるのは、念のかかわりのない世界の話。ハンター協会というものがあれど、絶対数の少なさにやはり「ハンター」というものは身近ではないのだろう。
 念を多少知ったところで、彼はまだ一般の世界にどっぷりつかり、こちらの切れ端も見えていない。

「さっき、それなりの実力がオレにはあるって言っただろ? けして強いと言い切れないオレでも、銃を持った警察が100や200きたところで、まったく怖くない。その火力も数も脅威ではないんだ」

 200の銃口を向けられたとしても、たとえその渦中にいたとしても、念を使えば切り抜けられる。

「−−−−っ! もしかして」

 エドはオレが言いたいことが分かったように、声がうわずる。

「犯人は念能力者?」
「答えることはできないよ、エド。オレは誰かに肩入れしてはいけない。友人を作ることも禁じられて――――」

 会話を最後まで綴る事はなく、嫌な感覚に反射的に身を引く。
 最初はなぜ自分がこんな反応をしているのか疑問を感じた。それほどに油断していた。

 だが。
 机に積まれていた本が、衝撃で宙を舞う。
 オレのすぐ横に積まれていたものだ。

 コンマ何秒という短い時の後、再び響く鈍い抑えられた音。
 サイレンサーを通した、銃口から発せられる発射音。

 その時にはすでに思考は切り替えられ、念を展開し、椅子を蹴倒し後ろへ飛んでいた。
 鉛玉は椅子をうちぬき、倒れ行くそれの進路を変える。

 1メートルほど下がった場所で体制を整え、原因となる場所を見た。

「エド、下がりなさい」
「おじさん……?」

 銃を構え、クラーク教授が扉のところに立っている。
 入ってきた事実にまったく気がつかなかった。彼も念が使えるのだから、隠を使用していたのだろうが、大きな原因はオレが気を抜いていた事に間違いない。

「何やってるんだよ!」

 ことなしか声に奮えを混じらせながらも、彼は教授に問いかけた。
 エドとオレは机をはさんで向かい合って座っていた。
 すなわちエドの眼前を2回も銃発が通り過ぎているのだ。普段銃撃戦など程遠い生活を送っていたならば、おびえても仕方ないといえた。

「早く下がれと言っておる!」

 そう言いながらも教授は銃口をこちらに向きつけたまま、すり足でエドのほうへと歩み寄る。彼を背後に隠すようにと。
 エドは明らかに混乱していた。
 椅子から立ち上がり、ぼうぜんと突っ立っている。視線はこちらと、教授を彷徨わせて。

 オレは自然とかすかな笑みを浮かべて、彼を安心させるかのように

「オレは問題ないから、下がりな」

 そのように伝えた。

「殺人鬼が余計なことを言うでない」

 ぎらぎらと教授の目が怒りに燃えている。
「ウィリーにばらすな」というジンの忠告が、頭をよぎる。

 ――ばれたんだろうな。

 教授の様子を見ながら、その考えに行き着く。
 それに。見慣れた光景でもあった。
 シルバやイルミのサポートで潜入操作もあった。ばれないで普通に終わることもあれば、今のように正体が割れて銃口を突きつけられる。そういう体験は少なからずあったのだ。

「叔父さん? ラクル? 意味が分からない。殺人鬼ってなんだよ」
「奴のその名は偽名じゃ。本名はミルキ=ゾルディック。パドキアの暗殺一家の殺人鬼だ」

 あまりにも有名なネームバリュー。
 そしてその名が指す意味はだれしもが知っていた。

「まさか?」

 エドの目が驚きで見開く。
 「また冗談を」とふざけるには、教授は真剣で。さらにそんな冗談を言わない性格だと、彼も分かっていた。
 ぎりぎりと音がしそうな感じで、エドの視線がゆっくりとこちらを向く。
 本当に?と視線が訴えている。

「そのとおりだよ」

 瞳に怯えが混じっていることに、少しの感傷を覚え。――オレは頷いた。



>続く〜