1
突然だが、オレは大学に通うことにした。
今まで選択科目ばかりで、学校で学ぶような基礎教育は最低限だった。という事実はあるけれど、別にそれを学ぼうっていうわけじゃない。
ゾルディックとして生きていくには、基礎教育なんて大した足しにならないし、学歴が必要なわけでもない。
オレの目的は違うのだ。
たまたまその学校に、神字という念を強化する特殊な文様を研究する教授が居た。それだけの理由である。
趣味の一環でモノを作って遊ぶと言うことや、サポートしての下準備にその神字を知っているというメリットは大きい。
だが覚えるだけの時間は確実に居るわけで、その間仕事は一切できない。
迷ったものの、シルバに相談したらあっさりと許可が出た。
子供の可能性に期待している。その時間のフォローは気にするなと。
あいかわらず、家族に甘い父だと思う。
ゴトーも「すべてお任せください」と快く送り出してくれた。本島に感謝しても感謝しきれない。
「何しているんだ?」
後ろから声がかかってオレはぎょっとする。
振り返ると本を読みにきていたクロロの姿があった。正直油断していたと思う。
彼は本の虫で、普段オレが何をしていても、まったく関与せず自分の世界に没頭している。今回も夕方になるまで微動だにしないと、思い切っていたのだ。
「本を読んでいたんじゃなかった?」
「区切りがついたからな。不動産サイトなんか見て引っ越すのか?」
「一時的にだけね。学校に行こうと思って」
「ほう。突然だな。引越し先も教えろよ」
「探しているんだけど。なかなか安全性の高い場所っていうと見つからなくてね。戸籍も用意しないといけないし。まあ、そういうコトだから当分仕事はできないかも」
「どの地区だ?」
「ヨークシンシティ」
そのオレの答えに、クロロはアゴに手をあてにやりと笑んだ。
とたんにゾクリと嫌な予感がする。
「確かヨークシンに仮宿があったな……」
だからなに!? と、突っ込みたくなるが、突っ込んだところで状況はかわらない。
溜息をひとつ。そして「面白そうだから、戸籍もオレにまかせろ」というクロロの台詞に何も言えず。嫌な予感をひしひしと感じ今日は眠りについたのである。早まったかな…。
そして、あれから1ヶ月。オレはヨークシンに来ていた。名前だけじゃなく歳も少しごまかして、20歳大学3年に編入になった。その為の書類を見て溜息をつく。
そりゃさ、ゾルディックを名乗るよりはマシかもしれないけど。
これはないよ。
戸籍の名前には「ラクル=ルシルフル」の名前。住所はクロロ=ルシルフルの仮家のマンションの一室を借り受ける事になった。兄弟設定らしい。
「悪趣味すぎる……」
オレはぼやきながらも、用意されたものを破りすてられず、そのまま提出にいたった。
2
そして、5月。
オレはヨルビアン大学の編入生として、通い始める。
ちなみに、クロロに「セキュリティの高い仮家が一箇所あるのは助かるな」と言われた。最初からやるつもりだったが、言外に強化しろと言われている気がする。
たぶん間違っていない
いざ通うとなると、一般知識に疎いのは事実であり、授業やテストが正直不安だったりする。成績が悪いことではなく、もし赤字とかで補修なんて子とになったら時間がもったいない。最低でも赤字なんて恥ずかしい真似だけは回避せねばならないだろう。
でもまあ、裏街道まっしぐらで生きてきたことは一欠けらも後悔はしていないが、この機に少し楽しんで別のジャンルも学んでもいいかもしれない。
オレはそう楽観的に考えなおす。どのようなものでも知識に変わりはないのである。
さて。
目的である神字の教授だが。この学校で考古学を教えている。名前はウィリー・クラークという。
もちろん担当するカリキュラムは専行したし、クラーク教授が担当する研究室にも顔を出すつもりである。
クラーク教授は少々痩せ気味で、白髪が半分ぐらい混じった初老の男性だった。目に強い意志を秘めており、研究気質を全身で表しているようだった。
そんな彼とのファーストコンタクトはさほど特筆したようなものではなかった。
すぐに教えてくれるなんて、甘い世界ではないと分かっていたからだ。
「神字を教わりに来ました」
そういうオレの台詞に少し驚き、彼は凝をしてこちらのオーラを確認する。
「念……は使えるようじゃな」
「はい」
その後いくつかのやり取りをし、その中で神字を教わるだけにこの学校に編入したと告げたら、彼は驚き肩をすくめた。
生半可な気持ちなら、即断るつもりだったのだろうが、オレのやる気が少しでも伝わったのかもしれない。
「少し考えさせてくれないか。あれは誰にでも教えていいものではないのだ」
とりあえず「オレ」が、クラーク教授の目にかなうかの見極めのため、彼のもつ考古学の研究室に入るようにと指示をうけた。
「ヒイキはしない。そして、神字を教えるに値しないと分かったらすぐに諦めてもらう」と釘もさされたから目的とするジャンルとは違おうと、今まで何の勉強もしてこなかったものだろうと、がんばるしかない。
とりあえずは、本でも読むかと、帰りにいくつか本を購入して帰ったのである。
ま、この辺はクロロも好きだろうしな。
3
「おーい。そこの君!」
学園と家(仮家)を往復する毎日の中で、特に友達というものを作らず過ごしていたオレだが、ある日後ろから声をかけられた。首をかしげ振り向く。茶髪・茶瞳の特にぱっとしない風の男性。見覚えはない。
「オレのこと?」
「そうそう」
オレ達は横にならんで学園内を歩く。
「君、クラーク教授のところの研究室に新しく入った人だろ?」
「先日入れてもらったけど、その後誰か入っているなら知らないよ?」
「それなら大丈夫。あの教授なかなか新人いれないんだ。あ、僕はエドマンド。エドって呼んでくれる?僕もクラーク教授の研究室の一員なんだ」
そういってエドはニコニコとしている。ここはオレも自己紹介で返すべきなのか? 正直ちょっと悩んだ。
「…ラクル。ラクル………る…しる…ふる…」
更に葛藤があったルシルフルの姓名。ただの偽名なら名乗りやすかったのに! クロロと一緒と兄弟設定が口を重くする。クロロと兄弟……ちょっとどころか、かなり嫌だ。
そんなオレの葛藤に気がつかず、エドは
「よろしく。ルシルフル」
と微笑んだ。
「う……ごめん。オレのことはラクルと呼んでください。お願い」
脱力しながらお願いしたら、不思議な顔をしていた。いいんだ。気にしないでくれ。これはオレの問題だ。
研究室には当然の事ながら学生が何人かいる。
紹介にあったとおりエドもその一人だ。クラーク教授の方針なのか少数精鋭で、オレを含めて五人しかいない。内訳としては男が3人。女が2人。学年に多少のばらつきはあるものの、見ている限りでは仲がよさそうである。
「聞いて!」
メンバーの一人のケリーが声高く、いかにも女の子という感じだ。
少々小さめの彼女は、もう一人の女性であるミナセととても仲がよく、今現在もミナセへと楽しそうにしている。
「どうしたの?」
「この前超イケメンがバイト先に来たって言ったじゃない。そのイケメンがね、また来たの!
もうこれは運命よ! 惚れてもいいんだよと神様がGOサインを出しているのよ。わたしがんばるっ」
「たかだか二回あっただけでそう思える貴女がスゴいわ。まあ、期間を開けての二回だから近くには住んでいそうね。よかったわね。妄想の時間が長引きそうで」
「うん」
嬉しそうにケリーは頷くが……。あれ、頷いていいのか?望みがありそうとか言うのなら分かるが。
「気にしないほうがいいよ。彼女たちはいつもあんなんだから」
エドがこそりと教えてくれる。しかし、イケメンか。話もしていないのに何故ああいう風に想えるのだろう。まったくもって理解できない。
4
「また来たのか……」
このヨークシンシティでの自宅となるマンションの一室の扉を開いたとき、部屋の中についているはずのない明かりが見えた。
基本として、室内はスリッパ行動とする自分に合わせてなのか、玄関先の靴箱に、自分のものとは違う靴がひとつ。
誰だ、というまでもない。
管理人なんていないこのマンションで、自由に出入りできる存在はただ一人だ。
リビングへと入れば思ったとおり、クロロの姿。
ソファーに座り、学校に行く前に購入した本日の新聞を読んでいる。
「何かよう?」
肩をすくめて言えば、彼はこちらを一瞥くれる。
「お前の手料理が食べたくなった」
「女にいえよ」
「女は毒いりの料理は作れんからな」
「…………まあ、いいけどさ」
金にも女にも困っていないんだ。
何を好んで男の下へとくる。と思うところだ。
だがまあ、彼の言うとおり「毒入り料理」なんて奇抜なもの、オレの家以外では食べるのが難しいだろうから、断り続けられない。
仮に毒入り料理を作ってくれる女性が居たとしても、暗殺目的を疑えばその料理を食べる気になれないだろう。逆にクロロに殺されて終わりだ。
「別に手間は一緒だからいいけど、毒の消費が早いってゴトーに言われそうだよ……」
ゾルディック特性の耐性をつけるのに最適な毒を、ゾルディック公認のレシピで作る。
とても貴重な料理。
そして、クロロはオレが毒の耐性をつけているのを知ってからは、時々こうやって料理を食べにくる。
小さい頃から食べ続けてきたオレと、流星街育ちのクロロでは、少し自分のほうが強かった。
それゆえに同じとはいえないが、多少薄める等工夫をこらし調整をし、彼も更なる耐性の強化に励んでいた。
「兄の為に頑張るんだな」
「誰が兄だ。オレの兄はイルミだけで充分だっ」
文句をいいつつも準備する。なんか見慣れた風景になりつつあるから怖い。新聞もオレの習慣で朝ランニングとともに購入されてくるのを知って、自分では買わないんだぜ?
ちゃっかりしてるよ。本当にさ。
5
「おーい。ラクルー」
朝の通学中。後ろから使い慣れてきた偽名を呼ぶ声が聞こえ、振り返る。声がかかって振り向いてみたら、エドとゼルがいた。ゼルも研究室の一員である。
「何かよう?」
「コンパ行かねえ?お前結構背が高いし顔も整っているから女受けいいと思うぜ。エドも強制連行予定だし」
「いや、遠慮しておくよ」
「なんだ。お前彼女持ちだったのか?」
「そういう訳じゃないけど、興味がないだけ」
友達でさえ制限される我が一族。一般人の彼女が持てるわけがないのだ。
「女に興味ないとか信じられねえ。むちむちとした身体とか、あのいいニオイとか味わいたいと思わねえの?」
「その発言エロおやじ丸出しだから自重したほうがいいかと」
エドがツッコミをいれる。確かに手の動きとかヤバかった。
「それに今は彼女作ってる暇なんてないんだよ」
「そういや考古学の勉強遅れてるみたいだな……」
「うるさいっ!自覚はしてるから言うなっ」
今までこんなジャンル無縁で生きて来たんだよー。
考古学の研究室なのでやることは古語の解析や古い遺跡の研究である。
はっきりいってほぼ1からのスタートだ。まずはクラーク教授の著書を読んだり、やっている古語の解説書を読んで勉強している。
頑張ってはいるが他の面子よりは二歩三歩どころか、何メートルと遅れているのが現状である。
「苦労しているようじゃじゃな」
クラーク教授が辞書を片手に資料を読み解いているオレを見ながら言った。
「正直に言えばその通りです。今までの専門と違いますから。でも目的の為であるし、勉強も嫌いじゃないので大丈夫です」
「これまでは何を専門にしていたんだい?」
「機器類やネットワーク関連。後は鍛える事ですね」
「そうか。それは確かにジャンルが違うな」
「考古学と言っても範囲が広くて、何処から手をつけていいのやら……」
その後も、二、三やりとりをして教授とは別れた。オレの勉強範囲はアイジエン大陸になり、研究室内での担当になった。
6
「ミナセぇ!ニュースよ!イケメンの君が昨日来たんだけどね、それが連れの人もまたイケメンなのよ!タイプは違うんだけどね。それが逆にマッチングして萌えるのよっ」
効果音を加えるならキァワキァワというところか……。今日もケリーは元気にミーハーだ。
「イケメン二人組ね……。それでケリーの妄想ではどっちが上なの?」
「やだぁ。そんなこと言えないっ!……でもあえて言うなら前から話している黒髪のお兄さんかな♪」
「……そう。よかったわね」
聞こえてしまう会話を深く考えないようにする。気にしたら負けだ。女の子の想像力は時に恐ろしい。
その日の帰り道。
「あれ?ルシルフル君?」
未だに聞きなれない呼名に一瞬戸惑うが、見知った顔に声をかけられれば流石に分かる。にこやかに手を振っているのはケリーだ。ぶっとんだ性格だが、平均より小さめで大きな目をしていてわりと可愛い容姿をしている。
「ルシルフル君も家が此方なのね」
ケリーは自然に近寄って隣に並んで歩き出し、少しびっくりする。エドも彼女も警戒心がまるでなく、話したことも無いのに最初から好意的だ。不思議で仕方ない。
「ケリーもこっち方向?」
「うん。まだちょっと距離があるけどね、この先のXXX街なんだ。でもラクル君とは、研究室で会うけどこうやって話すのは始めてね」
「……ちょっと入りづらい会話ばかりしているし……」
「やだぁ!聞いていたの?恥ずかしいっ」
「聞こえてくるんだっ」
あれで本気で聞かれていないと思っていたのか?まさかありえないと思ったのだが、彼女は本気で恥ずかしがっている。て、天然?
「イケメンは乙女の夢なだけなの!気にしないでね」
「大丈夫。気にしてないから。だけどオレで妄想だけは……」
「しないっしないっ!」
ブンブンとオーバーアクションでかぶりをふる。
「あっ、私はこっちなんだ。この先にあるカフェでバイトしてるの。よかったら今度来てよ」
「気が向いたら」
「待ってるからね」
そしてケリーは角を曲がっていった。台風一過……?
7
その日は休みで、前日の夜は普段より遅くまで起きていた。それもあって起きた時、寝ぼけていたんだ。
「……だからきっとこれは夢に違いない。もう一回寝よう」
「別に構わないが、今後の被害は保証できんぞ」
「ホント?やった!午前中ぐらいじっくりと寝てていいよ」
「寝れるかぁっ!」
「ちぇー、じゃあ早くコーヒー入れてよ。待ちすぎた分おいしく煎れてよ」
金髪の小悪魔ことシャルナークは口を尖らせて文句を垂れる。まったくもって不条理だっ!
一通りの文句を頭の中で並べ立てながらコーヒーを煎れて、客人の前に並べ置く。
「だいたい何でシャルがここにいるんだよ」
クロロの持ち家ではあるが、彼とは部屋が違う。わざわざ来たのは間違いない。
「クロロがおいしいコーヒーを飲ませてくれるって言うから着いて来たんだ。まさかラクルもこっちに来てるなんて知らなかったよ。ちゃんと教えてよね」
ムスーと頬をふくらます仕種は童顔ゆえに違和感がない。ある意味凄い。
「オレんとこ、コーヒーショップじゃないんだけど」
ため息が出るところではあるが、確かに一時的とはいえ住居を変える連絡をしていなかったのは事実なので大人しく謝罪する。シャルともトモダチとして契約はしているのだから伝える必要はあったわけだし。
「じゃあ、お詫びでラクルのパソコン触らせてよ!」
「全力で遠慮するっ」
クロロならまだいい。しかしシャルは下手に見せるわけにはいかない。同じぐらいの力量を持っているがゆえに、隠しデータは見破られそうだし、下手したらオレの気づかない仕掛けを施しそうだ。
「じゃあコーヒーも来たからもう一回寝てきなよ」
「すでに眠気なんてねーよ」
ぎぁあぎぁあ言い合いをしている横でクロロの「朝から元気だな」と言う言葉とコーヒーをすする音が聞こえた。
追記しておく。たいしたことじゃないんだけど、その日のうちにパソコンのある部屋だけセキュリティを強化した。念のためだったんだけど、後日シャルが激怒している姿があったという……。
8
その日、研究室に居残ってオレは資料を読みといていた。だいぶ知識も深まり、わりとすんなりと進んでいる。
「調子はどうだい?」
振り向くとクラーク教授がいた。
「だいぶ慣れてきました」
その答えにそうか頷き「来なさい」と続けた。首を傾げながらも資料を閉じ後に続く。
ついて行った先は何時もとは違う研究室で、さらに鍵も厳重にかけられていた。
「ここは?」
「神字用の研究室だよ」
クラーク教授は目を見張るオレに微笑を浮かべ続ける。
「君の意気込みは賞賛に値するよ」
考古学なんて興味がないだろうに真面目に取り組む様や理解の早さ、そして人柄を感じこの研究室に案内する決意をしたらしい。
オレのどこを見て人柄が認められるのか、更に教授とはほとんど会話もなく、忙しい人ゆえに研究室に居ない日も多かったはずだと疑問だった。後々その疑問は解決する。
さりとて、オレはその部屋に入る権利を取得したわけだが、先生を得たわけではなかった。
「自由に資料を読んでも構わない。自ら学びなさい。質問には答えよう」という事だ。もちろん異論はない。十分だ。
その日より、ようやく本来の目的である神字の勉強が始まったのだ。学園に入り込んで1ヶ月ほどたった頃たった。
朝。ランニングをし、新聞を買いダイニングに戻ってもクロロはいなかった。
はて?と少し疑問に思うがそういう事もあるだろうと特に気にしないで一人ぶんのコーヒーを煎れる。朝早いが早めに出た。
今は神字の資料を読み漁るので忙しいのだ。
特別な認証を経て部屋に入る。
一夜の間流れなかった空気が動き、鼻に淀んだ臭いを運ぶ。
窓を開け空気の循環を促しながら本を片手にノートにまとめていく。静かな音が響く時間が少しの間続いた。
人の気配を感じ書く手を止め顔をあげると教授ではなくエドが居て「早いな」驚いた顔をしていた。
「エド?」
「僕も神字の事学んでるんだよ。といっても考古学の方がメインなんだけどね」
この模様の羅列が何でそこまでありがたいのかわからない。と彼は続けて言う。目を凝らして見てみるが念が使えるようには見えない。オーラは垂れ流しだ。
オレは首を傾げる。確かに念の使い手以外が神字を刻んだとしても多少の意味はある。だがオーラを使いこなせる能力者のモノとは比較にならない。
正直なところ、念が使えない人間がこの文字を学んだところで、ありがたさも分からなければ、効果もない。必要性を感じなく、首をかしげた。
「僕さ、教授の血縁者なんだよ。よく分からない事だけど一応ね、学んでおいてやろうって思ったわけ」
叔父と甥の関係で、教授には実子がいない。だけど叔父には世話になったから、教授の学んだ道を辿る事にしたのだ。そうエドは語る。
「実は、ラクルがこれを学ぶためにワザワザ転入してきた事も聞いていたんだ」
そして叔父に頼まれ様子も見ていたと。
「今まで黙っていて悪かった」
「気にしてないよ。教授がそうするのは理解できるし」
神字の貴重性や、効力は知っている。それゆえに、クラーク教授が時間を置いたのも納得し、了承したのだ。
だから誰に見張られていようと、オレは気にしないし、教授のとった方法ももっともだと肯けるのだ。
「と言うことは、此方の方面でもエドは先輩な訳だな。よろしく頼むよ」
そう言えばエドは少し照れたような顔をして「ああ」と答えた。
9
授業後の午後。
人の来訪のほとんどいない研究室ではなく、考古学の研究室にて本を読んでいるときのことである。
本来の目的の神字の勉学がスタートしたからといって、こちらもおろそかにしていい理由にはならない。前と同じようにこちらも手を抜くいてはいない。
「なぁ」
ゼルが頬杖をつきながら、オレとエドに話しかけてくる。
彼はスポーツ万能で秀才タイプなのであるが、集中力が低いのが難点である。今も作業にあきたのか、だれた格好だ。
「よかったらバイトしねえ?」
「そんな暇があったら本読むよ」
オレは金に困っていない。あっさりと断わる
「うーん。ちょっと興味は引かれる。どんなバイト?」
エドは少々見込みがありそうなのか、ゼルの話題に乗っていた。
「警備員だよ。オレの叔父の家が美術館をやっててな。人出不足だから是非とのことだ」
「へぇ。初耳だな」
「自給や条件もけっこう優遇してくれるらしいぜ」
2人は自給や時間など就労条件を話している。
しかし、美術館か。オレはうーむと他人に分からないように唸る。
今この町には危険人物(言わずもがなクロロやシャルだ)がいる。自給がよくてもあまりオススメできるものではない。だが、条件のよさにゼルはもちろんエドも乗り気だ。
「なあ。ゼル。その美術館の名前聞いてもいいかな?」
ゼルから聞いた美術館の名前はあまり知名度が高いものではなく、オレの記憶の中ではクロロの興味のひくものがなさそうだった。まあ、放置しておいても大丈夫か。そう結論づけオレは自分の研究へと思考を戻した。
次の日の朝も、クロロの姿はなく。どうやら本格的に外出しているらしい。
おや?と思ったが、彼の行動範囲は世界単位だ。一ヶ月の間同じ場所に居る事さえ本来は少ないのかもしれない。一緒に食卓を囲む面子が1人に戻ってしまったのは少々寂しさを感じるが、仕方ない。
作りすぎてしまった料理を弁当にし、メールをひとつ送る。
『前日までに連絡しないと、メシは出さないからな』
冷凍食品もあって実際に何も出ないわけではないのだが、そんな事は知ったことじゃない。いきなり消えたり、現れたりするのは面白くないじゃないか。
数日後、クロロから『宝を手に入れたら帰る』とメールが入った。何を追っているのかはしらないが、そう時間もかからないだろう。オレは気長に考える事にする。クロロ達なら心配する事もない。『がんばれ』とだけメールを返信し日常に戻った。
10
「ラクル君ちょっときてくれ」
教授に呼ばれ、研究室の横にある教授のプライベートルームに入る。そうすると、1人中には先客がおり、少々びっくりしながらもオレは頭をさげた。
「紹介するよ。今回着手する研究の協力者の1人で、名前をカイト君という」
先客の彼は紹介にあわせて手を差し出してくる。
オレは反射的に手を合わせることはせずに、その彼をじっとみた。こいつ能力者だ。澄んだオーラが彼をすっぽりとおおっており、更に無駄のない筋肉が、相当の実力者だというコトをつげている。警戒するオレにカイトという青年は、少々はにかむように表情を崩した。
「警戒した野生動物みたいだな。オレは面構えが悪いとか言われる事はあるが、自分から喧嘩は売らないから安心していいぜ」
安心しろといいながらも、気を使ってか、彼は出した手を引っ込める。オレの警戒具合をみて握手は簡単に出来ないと思ったのだろう。
まあ、それはあたりであるわけなのだが。
「それにしても、クラーク教授に能力者の弟子がいるとは知らなかったな」
「編入してきたんじゃよ」
カイトという青年と教授は、ある程度顔見知りのようだった。
その後、オレは2人から今回の依頼の話を聞く。
アイジエン大陸にて見つかった遺跡の発掘調査の協力をして欲しいというもので、古語で書かれた石碑がみつかったのだという。
彼はその文字データを持ってきたのだ。
そしてオレが呼ばれた理由はなんてことない。アイジエン大陸の担当がオレっていうことだから。
「エドやミナセ君はアイジエンの旧言語に詳しい。二人と協力してやってくれ」
教授に頼まれ。
「よろしく頼む」
カイト青年に頼まれ。オレはこれも仕事の一環だと。
「頑張ります」とうなずき退出した。
なんていうか。気がつくのは、当分先のことになるのだが。
このときのオレのマヌケさは相当だった。
長身で長髪。そしてキャスケット帽子を被ったカイトという男に、何も思い当たらなかったんだ。
広いこの世界で、何億人といる人間の中のほんの一握りの存在に、偶然出会う確率なんてないと、何も気にしていなかった。
ただ単純に教授の元に訪れたクライアント。
それだけの認識だったのだ。
「古文書の解読か。大変になるな」
オレは溜息をもらし、もらった古語の写しである紙に視線を落とす。
枚数はないのだが、コレだけの量の解読なら、そこそこに時間はかかるだろう。
オレは神字の勉強は後回しにし、とりあえずこの古語に取り掛かろうと決めた。ちゃんと依頼日時の間に終わらせなければ、信用に関わる。
まあ普段のゾルディックの仕事にも、締め切り厳守を決め取り掛かっているからその影響もないわけじゃないが。
エドがミナセと協力か。
人の協力を仰ぐのは得意ではないのだけど……。溜息が出てしまうところだが、仕方ない。
オレはまだアイジエン大陸の古語について詳しくはない。確実性を極めるために協力は仰がないといけないだろう。
ミナセとは挨拶程度しか話したことはない。
エドに頼むかなぁ。
色よい返事をしてくれればいいけど。
協力を仰ぐ方法なんて、どうしていいのやら。と、たかだか「お願い」の言葉を考え、悩みながら、エドのいる研究室へと向かった。
11
忘れているわけではない。
学生の本分は研究室では、本来は違う。
オレの場合は本分が逆転しているような状態ではあるが。一応、一般教養の授業だってあるのである。
オレは一枚の紙を眺めながら机につっぷしていた。
予想はしていたとはいえ……、酷いな。
情けないというか、これは人には見せられないから、さっさと証拠隠滅しようとか、我ながら情けない思考が頭をめぐる。
わかってはいたんだ。
テストを受けているときから、さっぱりな状況だったし、もともと自分の得意分野以外は勉強なんてしなかったし。そもそも、年齢や経歴のごまかしもあって、ついていけないところがあることぐらい。だけど、こうやって目に見える状態になって帰ってくると凹むわけで。
言い訳を頭の中でぶちぶちと重ねているわけだが、事実は事実で覆いようがない。
「何やってんだ?」
「……落ち込んでるんだ」
チラッと顔をあげると、ゼルとミナセがいた。
彼らも同じ講義を受けていたらしい。
エドは4年生。ゼルとミナセは同じ3年。ケリーは2年になる。
「小テストの結果か?」
「わざわざ言うなっ」
そう。手元には小テストの解答用紙が入っているわけである。
これが本格的な学期試験ではないのだから、順位とかがつけられるわけでもないし、本格的に成績に響くわけでもない(無論成績なんてどうでもいいわけなのだが)
でもしかし、点数が約半分。平均点以下では、情けなくなるわけなのだ。
しかも。
「あー。こりゃ確かに凹んでもおかしくねーな」
「考古学の研究室に入っている人間の点数には見えないわね」
ゼルがぱぱっと、用紙を奪い取り一言。
さらにミナセがそれを覗き込んで一言。
グサッ グサササッ
と2本の見えない矢がつきささる。
「来月の学期末はもう少しまともな点数とるように、頑張るよ」
溜息をついて、解答用紙を返してもらいカバンに詰め込み立ち上がった。
「研究室に行くなら一緒に行くか?」
「遠慮しておくよ。よりたいところがあるからね」
オレはひらひらと2人に手を振り講堂を去った。
研究室にもいくが、その前に神字の方の研究室に寄りたい。
カイト依頼の解読もやらないといけないし、大変だ。
「仕事がない状態でよかった」
時々は入ってくるが、今はゴトーがメインで片付けてもらっている。
前と同じ量の仕事をこなしながらでは、この量の勉強はできなかっただろう。
「ほんと、ゴトーには感謝しちゃうよな」
オレはとてとてと歩きながら呟いていた。
一方。
ラクル(ミルキ)が去った後。
ゼルとミナセは2人で研究室に向かって歩いていた。
研究室のメンバーの4人は全員仲がよい。そしてこの2人は同じ学年ということもあり、割と構内では良く話す機会がある。
一緒に研究室に向かうこともたまにはあったりするのだ。
ただ、毎回すぎて噂になり「私も人を選びたいのよ」というミナセの訴えにより、時々ではあるが。
「ほんっと、アイツ研究室にいるわりに、考古学が苦手だな」
アイツとはラクルを指している。
「最近でこそ、普通に出来ているけど、初期のころはボロボロだったもんなぁ」
ゼルは先月の事を思い出す。彼は得意ジャンルがなく、どの国の古語も、歴史的なものも、遺跡もさほど詳しくはなかった。手伝いをお願いしても、上手く片付ける事ができず、資料を見ながら必死にやっていた。
「そうね。彼ってすごい人だったのね」
「は? いきなりな流れだな」
「気がつかなかった? あの答案。確かに点数こそ低いけど、彼の担当のアイジエン大陸のところは全問正解だったわよ?」
「まじか? よく見てるな」
ゼルは「そりゃすごいな」と小さく続けた。
ラクルは来た当時はボロボロだったのだ。どのジャンルも均等に。
それが担当となったアイジエン大陸だけは、すでに完璧にこなせる。たかだか数ヶ月の時間で。それがどれほどすごいのか。
考えるまでもない。
2人はラクルに対する見方を変わったのを感じた。
12
「こちらが元の原稿です。お返しします。そして、こちらが作成したレポートです」
カイトから依頼をうけて4日後。
オレとカイトは再び対面を果たしていた。目的は、依頼された文献の翻訳が終わったのでレポートの提出である。
期限は1週間といわれていたが、他にやりたい事が山積みだったので早めに終わらせることにしたのだ。
「早いなぁ」
カイトはレポートを受取ると、中身を受取るとぱらぱらと見始める。一応教授のOKはもらっている。レポートとしてまとめるのはいつものことだし、読みにくいわけでもない、と思う。
最後までめくりきると「オレにはやっぱり小難しい事は分からねえな」と苦笑すると、こちらをみて
「さんきゅーな」
といった。
「もし何かあったら、もう一回調べるので、連絡をください」
「なら、ホームコードや携帯聞いていいか?」
「ホームコードは持っていないので。教授経由で大丈夫ですよ。学園にはほぼ毎日きますし」
携帯は持っているが、簡単に教える気にはならずはぐらかす。実際研究室にもほぼ毎日顔を出している状態だ。問題ないだろう。
カイトは了解をし、加えて一枚の紙を渡してきた。そこには、数字の羅列が2つほど並んでいる。
「オレのホームコードと携帯だ。オレらのいる遺跡が見たくなったら連絡してくれ。お前なら歓迎できそうだ」
「気持ちだけいただいておきます。他の研究生に声をかけてあげてください。」
そう返しながらも、遺跡に行くことはないだろうな。と思う。
自分の専門はあくまで違うところにあるのだ。
「他……は、ちょっと厳しいかもしれないな」
彼は声小さくつぶやき、手を上げて帰っていった。
そのつぶやきの意味を、くしくも理解してしまうのはだいぶ先の話である。
13
「ケリーのバイト先にいかない?」
研究室でのひとコマ。
エドがオレとゼルに向かって切り出した。
ケリーのバイト先というと、うちの近くのカフェだったか? 前に誘われて、気が向いたらという返答をしたのを思い出す。
「ミナセが、噂のイケメンに会えたらラッキー。そうじゃなくても、ケリーの天然娘がちゃんとウェイトレスをやれているか見てみたい。ということで、一緒に行かないかって誘いがあってね。せっかくだから皆で行った方が面白いだろう?」
「別にオレはイケメンなんか見ても面白くねえ。イケメンはオレがもてなくなるから、敵なんだ」
「いやそれは、ミナセの目的であって、別に僕たちは普通に茶を飲みにいく、そしてケリーの様子を見に行くのが目的でいいじゃないか」
どうやらゼルはいまいち乗り気じゃないらしい。
「ラクルはどうする?」
「うーん」
突然こちらに向けられてちょっと悩む。
前に約束したのもあるし、カイトへの提出も終わったところで少し手が空いたというのもある。
「少しだけなら」
オレは遅くなる前に帰るというのを条件に了承した。
結局ゼルは、イケメンは敵!というコトでやめて、エドとミナセとオレの3人でカフェに行くことになった。
たどり着いたカフェは、オープンテラスがあるおしゃれなカフェだった。
コーヒーにこだわっているのか、引き立ての香ばしい豆のニオイが店内をただよう。
いい雰囲気だな。と思ったのだが、いらっしゃいませ。という挨拶ではなく、
「きゃあああ!」
という悲鳴でオレ達は出迎えられた。
もちろんケリーの悲鳴によって。
ケリーはオレ達をみて目を見開いている。
「び、びっくりした……」
「びっくりしたのは、私の方よ。カフェに入って悲鳴で出迎えられたのは初めてだわ」
ミナセは肩をすくめ、あきれ声だ。
「ご、ごめん。いらっしゃいー、みんな。奥の席があいているからどうぞ」
そして俺たちは奥の席に座り、話に花をさかせた。
ケリーは予想どおりというか、仕事中も天然っぷりを何度も発揮しており、「ひやひやするね」というのはエドの弁。ミナセは「予想通りすぎて、つまらないわ」と。
加えて、ミナセに「ミナセもイケメンが好きなのかい?」と聞いてみたら
「キライじゃないけど、さほど興味はないわ。ただ彼女の妄想を聞くのに、顔がわかっていたほうが面白いじゃない」
というコトだ。
それって普通の事なのか? 多分違うよな?
まあそんなこんなで、2時間ほど話していたのだが、彼女達の目的のイケメンは現れなかった。そうそう都合よくはいかないらしい。
後から聞く事になるのだが、ケリーいわく最近イケメンさんの来店はないそうだ。
どちらにせよ。オレとしてはおいしいコーヒーの店がわかったというのはメリットだったからいいか。
そう。このカフェ。コーヒーがとてもおいしかったのだ。
自分で煎れるのが面倒なとき、ゴトーが届けてくれる豆が切れたとき、この店を利用してもいいかもしれない。とおもうくらいには。
コーヒー通のクロロも気に入る味だろうから、今度一緒に来てもいいかもしれない。
と一瞬おもったのだが、クロロはイケメンだ。下手にケリーにキャーキャ―騒がれるのも面倒だ、とすぐに否定した。
プリンもおいしかったから、晩御飯後のおやつにひとつ買って帰った。