11.熱帯夜の珍事 Vol.2

 来客のチャイムがなる前に、家の扉をあけクロロを出迎えた。
 来るタイミングは監視カメラの様子から分かっている。

 ドアの前にたたずむその姿はいつもの団長服ではなく、動きやすいラフなものだった。
 とはいえ、服はボロボロに破れていたり、血で黒く固まっていたりと元の原型をようやく残すようなもの。
 普段なら返り血だろうと思わせるのだが、今回は本人から流れ出ている。
 心なしか顔色も、血がたりないため少々青い。
 左腕は骨が折れているのか、接木がそえられて、千切り取った服の袖で固定されている。
 痛そうだった。
 まさに満身創痍な状態といえた。

「いらっしゃい。
 家族以外で始めての来客だよ」

「それは光栄だな」

 オレは傷の具合を心配しながらも、あえて軽口を叩いた。
 クロロもそれに軽口でもって答える。
 彼に「大丈夫?」という台詞は似合わない。

 オレはクロロを家に招きいれ、リビングへ通した。
 クロロは軽く部屋の様子を見回していたが、特に感想を述べる事もなくソファーへと座る。
 ソファーの前のテーブルに救急箱が置いてあるのに気がついたのかもしれない。

 我が家の薬の品揃えは、一般家庭以上の品揃えを自負できるものだ。
 なんていうかオレが訓練でよく怪我するせいで、どんどん品が増えていった結果ではあるんだけど。
 有名なだけでなく金も持っている一族なので、品質に糸目をつけていない。能力者の特効薬だ。

「クロロがここに来るまでの記録は全部塗り替えておいたよ。すぐに追っ手が来る事はないから、とりあえずは安心していいと思う。あ、薬はそこにあるやつ使って」

 彼が来るまでに手を打った案件を伝えながら、キッチンへ赴きグラスにミネラルウォーターを注ぐ。
 リビングとキッチンは壁でさえぎられていないので、声は問題なく届く。
 水は鎮痛剤や抗生剤も飲んで貰おうと思ったのだ。

「仕事が速いな、助かる。薬は市販品じゃないんだな」

「訓練でよく怪我するから過保護な親が能力者特製の傷薬を持ってくるんだ。市販品じゃないと不安なら日があけたらすぐに買いに行ってってくるけど」

 カウンター越しに見えるクロロは、救急箱の中身を確認していた。
 今は深夜で店は開いていないが、不安だと思う気持ちも理解ができる。そうならば朝まで待ってもらわなければならない。

「いや、かまわない。家族がいるのか?」

「ならいいけど。そういえば、家族のことを話した事なかったな。クロロと話す内容は、仕事か本の話ばっかりでさ」

「ラクルが秘密主義を貫いて話していないだけだろ?」

 心外だとばかりに、肩をすくめる。
 確かに意図的に話していなかったな。とオレも納得した。
 クロロのことを信頼していないわけじゃないが、家族の事は簡単に話せるような一族ではないのだ。

「確かにそうだった。はい、水。鎮痛剤や抗生剤も飲んでおけよ? 化膿したら大変だしさ」 

 オレはグラスを手渡し、空いた手で救急箱をあさった。
 それぞれの名前の書いてある薬のビンを探し、適量を取り出した。そして、その錠剤もクロロに手渡す。

「必要があるというなら飲むが?」

「じゃあ、飲めっ」

 口端をあげ、彼は薬を受取る。
 そのまま口に放り込み、水を飲み干した。
  
「……一緒に住んでいないのか?」

 一瞬間を置いて聞いてくる。主語は特になかったが、家族の事だろう。
 流星街育ちの彼らには親はいない。
 単純に家族の介入を恐れたのか、それとも別の感情をもってなのかは分からなかった。

「そうだね。一緒には住んでいないけど仲はいいよ」

 クロロは「そうか」と小さくつぶやき、そして手当のためボロ雑巾のようになった上着を脱ぎ取る。

 上半身の服を脱ぎ汚れを抜き取ると、傷の度合いが蛍光灯の下にあらわにされよく見えた。
 鍛えられた体に打撲や鬱血があり、裂傷と肉のえぐれからは消毒により再び血が流れ出ている。
 本来ならば病院で処置しないといけないものであり、絆創膏を貼るだけというような簡単さではすまない。
 加えて片腕は骨折で、だらんとしている。

 そんな手では手当もままならないだろうとは思うのだが、彼は手馴れたそぶりで処置をしていく。
 今まで似たような状況に何度も陥ったとき、誰にも頼れず自分でやってきたのだろう。
 オレは手伝おうかと思って手を伸ばしたのだが、行き場を失いぎゅっと握るにとどまった。

「……ごめん。本当はオレがやれるといいんだけど、やり方がわからないんだ」

 何も出来ない事が申し訳なくて。やり方がわからないオレより片腕が動かないクロロのがはるかに手際がよくて。
 情けない。
 オレはいつも手当てをしてもらうばかりで、誰かにすることはなかった。
 手合わせでオレが怪我する事はあっても、相手が1cmの切り傷でさえ負ったことはなかったのだから。

「問題ない。手馴れているからな」

 まったく気にしたそぶりもなく、クロロは傷の手当を続ける。
 薬はしみるだろうに顔色ひとつ変えることなく、坦々と作業としてこなす。痛みを感じていないはずはないのに。

「手当て終わったら、オレのベッドで寝なよ。オレの部屋が一番安全だし。オレはPCルームに布団持ち込んで寝るから」

 傷の手当が終わった頃を見計らい、オレは洗い立てのルームウェアをクロロに手渡した。
 元の服はすでに服として機能はしていない。
 丸めてゴミ箱に捨てる。

 そして着替え終わったクロロをオレの部屋へと案内する。
 客室のが綺麗にしてあるのだが、オレの部屋もそこまでは汚れていない。
 安全面も考えて、多少は汚かろうが妥協してもらおう。

 そうだな。後は朝に電話をしないと。
 少しの間ゴトーとイルミの立ち入りも遠慮してもらったほうがいい。



   ▽



 朝か……。
 窓からこぼれる陽光がまぶしい。
 それから結局オレは寝なかった。
 家の中に他人がいる。その事がなれなかったのもある。
 だけども普通に数時間は寝た後だったわけで、無理やり寝る必要もなかった。

 毛布と一緒にPCルームを出る。
 少々頭がぼんやりするし、コーヒーでも煎れよう。
 ふぁぁああ
 毛布はリビングのソファーへと投げ捨て、大きなあくびをしながらキッチンへと行く。

 マメからしっかり挽こう。
 最高に芳香なコーヒーの香りがかぎたい。そんな気分なのだ。
 うーん。クロロの分どうしよう。
 ま、多すぎる分には問題ないか。
 贅沢言うなかれ、実際金持ちなんだ。これくらいの贅沢は許される。
 豆をコーヒーミル機にいれ、ガリガりと削る。
 わりとこの無駄に思えるひと手間は嫌いじゃない。

 ドリッパーにセットしお湯を入れたら、待ちわびたコーヒーの香り。
 やはり豆からやると、一段と香りがいい。

「いい香りだな」

「おはよう、クロロ。コーヒー飲む?」

「ああ」

 クロロがタイミングよくリビングにやってくる。
 眠りが浅かったのか寝ていないのかもしれない。
 オレの物音で起きた可能性も高そうだ。

 入れたてのコーヒーをカップに注ぎ、食卓に座っているクロロに手渡す。
 ついでにと、サラダとパンを焼き軽い朝食を取った。

「ちょっと家に電話をいれていいかな? 時々家族が来るから、それを防止するためにさ」

 今の状態で、何の目的か分からない電話は怖いと思う。

「律儀だな」

「流石にこれくらいの気遣いはできるさ。でも、通話口の向こうまで聞こえるような距離では話さないよ」

 クロロは特に反対する事もなく、朝食は静かに終わった。





 食器を食洗機に放り込みスイッチを入れる。すぐにジャワジャワと音を立てて動き始める。 
 クロロの様子を見ると、ソファーに座りテレビを眺めている。
 オレはダイニングテーブルに座り、携帯を取り出した。
 イルミの携帯アドレスを呼び出し鳴らすと、朝早い時間なのだがすぐにつながった。
 
「おはよう。アニキ」

『ミルから仕事でもないのに電話をかけてくるなんて珍しいね』

「ん。ちょっとの間都合が悪くなるから、こっちに来るのを控えてもらおうとおもって」

『わかった。じいちゃんとゴトーにも電話するなら伝えておこうか? オレちょうど家にいるし』

「マジ? 助かる。是非お願い」

『そうだ。父さんが「幻影旅団には手をだすな」だって。今朝、軽傷だったけど珍しく怪我して帰ってきて……』

 ぶち
 つーつーつー

 動かない頭ながらにも、その言葉の意味を捉えた瞬間オレは通話の終了ボタンを押していた。
 ちょっとした軽い現実逃避である。

 あああああああああああああああああああ

 オレは頭を抱えてうずこみたがる気持ちを精一杯おさえる。

 何で気がつかなかったんだ。
 マジでアホすぎる。
 自分の迂闊さが情けない。

 クロロほどの存在がかなわない相手なんて、ほとんど居ないじゃないか。
 そしていずれバッティングする事も知っていたじゃないか。
 だから幻影旅団の事だって調べたりもしたよな?
 それなのに、それなのに何で肝心な時に忘れているんだよ! オレ! 

 あれだ。
 今回のクロロの傷の相手はゾルディック当主(おやじさま)だ。
 そりゃクロロもかなわないわけだし、警戒レベルをあげるのも当然だ。



 〜♪♪〜〜♪〜♪


 
 激しく自分のバカさ加減をののしっていると、手の中の携帯が着信をつげた。
 先ほどの通話相手である。

『何でいきなり電話きるの』

「ごめん。ちょっと理由があって……。親父にはわかったと伝えておいて。とりあえずアニキ、最初の伝言よろしく頼むよ」

 イルミから不自然な切り方をしたお叱りをうけるが、オレは無理やり電話を終わらせた。

 シルバのことが気にならなかったわけではないが、イルミが軽傷というのだから軽傷だろう。
 彼は過小も過大もせずに正確に物事を判断する。その為、少々感情の欠落があるんじゃないかと疑われる要因の一つとなっている。
 だから信用していい。
 たいしたことはないだろう。
 それは非常によかった。だけど、どうする?

 クロロはゾルディックから隠れている。
 そして、オレはゾルディックの人間。 

 オレは、切った携帯を呆然と眺めていた。

<ボツネタ>