14.熱帯夜の珍事 Vol.5

 オレと反対側のドアにたたずむイルミの姿。見間違いを期待するものの、何回みても兄であるイルミだ。
 しかもよく見る普段着ではなく、衝撃に強く動きやすい特性をもった仕事着。
 どうしてここにと思ったが、その服装からいって仕事できているのは間違いないようだ。

 オレは今出てきた部屋を思い出す。
 その部屋にはまさにゾルディックに狙われている存在がいるのだ。

「あれ? ミルキ?」

 イルミはオレに気がついたようで、首をかしげる。

「何でこんなところにいるの? 頼みたいことあったのに電話が通じないから困っていたんだよ」

「お前ら一体どこの組のものだ!」

 イルミが殺気を出していないのに気を大きくしてか、クロロという猛獣がいないから自分だけで何とかなると思ったのか、グスタフは声を張り上げる。
 どう思ったのかは知らないが、悪手であるのには間違いない。

「誰こいつ。ちょっと黙っていてくれる?」

 イルミは不愉快そうに眉をひそめ、鋲を投げた。
 グスタフの顔に鋲がささり、変形し異形の形になる。骨格がかわり声を出そうとしてもそれはかなわず、ヒューヒューとした音になっていた。彼としては悲鳴を上げているのかもしれない。
 グスタフは自分自身の変形に気がつき、腰を抜かしたのかヘナヘナと座りこんだ。

 イルミにとっては「むかついたから」だけで殺す理由になりうる。彼は知らないだろうが、これだけですんだのは運がいいほうだ。
 だけど殺さなかったとはいえ、イルミはこいつが旅団の暗殺依頼をした依頼人(クライアント)だとは知らないのだろうか。
 まあイルミは依頼人だからといって媚びへつらいはしないし、高慢で高飛車な態度でこられた場合はこれくらいしそうだけど。

「これで静かになった」とイルミがオレの方を向いた。

「ミルとこんな所で会うとは思わなかったよ」

「オレもびっくりした」

 冷や汗が背中を伝うのを感じる。
 どうごまかそうかと考えたが、嫌な汗しか出てこない。

 とりあえずこの場にクロロが来るのだけは避けたいと、オレはそっと後ろの扉をしめた。
 不自然にならないように。
 鍵でもかかればよかったのだが、あいにく原始的な鍵さえないただのドアだ。

 しかし、わざわざ扉を閉めたのに「来るな!」という意味をこめて、空間を遮断したのに。
 クロロならこの意味に気がついてくれると思ったのに、ノブはがちゃりと音をたて回される。

 あの念能力者もう少し時間稼げよ。

 時間にして数分しか経っていない。なるべく稼ぐという台詞のわりには短すぎる。
 オレは悪態をつきたくなるが、本当はわかっているのだ。手負いとはいえクロロを相手に数分の時間をかせぐのがどれだけ大変かを。

「……入ってくるな」

 扉の向こうに聞こえるぐらいの小さな声で忠告する。
 だがその言葉が聞こえなかったのか、それとも聞こえて無視したのか、扉は開かれクロロは入ってくる。

「何で入ってくるんだよ」

「そうは言うが、隣の部屋にお前より強い能力者の気配を感じて、黙っているわけにもいかないだろう?」

 違う状況でこの台詞ならば有難いが、今は大きな迷惑でしかない。

「君、だれ?」

 イルミが新しい来訪者を睨みつける。
 お互いが、お互いをただならぬ相手だとわかっているのだろう。

 確かに二人はオレからみたら、雲の上の実力者。一触即発の嫌な空気が漂う。

 イルミはクロロの顔を知らないようだ。
 とりあえずごまかして、目の前の目標を倒してしまえばいい。
 そしたら、旅団にかかっている依頼は打ち消される。

 そうは思っても動くタイミングがつかめない。
 しゃれにならない強さを持つ二人が、俺の両側で剣呑なオーラを出しているのだ。手を動かすのさえ多大な労力がかかる気がする。
 それに下手に動いて、それを皮切りに二人が戦闘を始めるんじゃないか。という不安もあった。

「とりあえず部屋出てて、彼は大丈夫なんだ……」

 とりあえずクロロを退場させようと、声をかけ扉を閉めようと思った。が、イヤな予感がよぎる。オレはその場から後ろに飛びのいた。
 針がスタタとオレの足元に突き刺さる。
 同時にクロロにも鋲が飛んでいた。オレのように足元なんて生易しくない。顔に直撃コースだ。
 クロロは持っていたナイフで投げられてきた鋲を叩き落とす。

「何で!」

「兄にむかって、他人行儀だね?」

 お兄様。怒りどころはそこですか……。

「で、君はだれ。うちの弟に近づかないでくれる?」

「アニキ、ごめん。謝るから、その物騒なものシマってください」

 もうとにかくこの状況を脱したい。
 クロロが退出してくれればいいのに、退く気配もない。
 イルミも過保護を発揮しているので、多少何かいったところで退かないだろう。
 オレは半泣き状態になっていた。



 だが、状況はオレの想像もしなかったところで、動いた。
 それに気がつくのが一番遅かったのはオレだったけど。


「なるほど、兄弟か」

 ふと。
 クロロは何かに気がついたようで、楽しそうに口端をあげた。
 そしてイルミの殺気に警戒はしつつも、攻撃の意図はないとばかりに殺気を仕舞い、ナイフも捨てた。

 イルミに攻撃を仕掛けてもらっては困から助かるが、いきなり何故?

「オレはクロロ=ルシルフル。イルミ=ゾルディックか?」

 手を軽く上にあげるという動作をし、さらに攻撃はしないとイルミに向き合う。
 どうしてそうなるのかわからないが、名前を告げる。

 なんでイルミの名前を知っているのかと驚くべきか、それともゾルディックと分かっている相手に自分の名前を言うのか! と驚いていいのか。
 だけどクロロは楽しそうに、そして余裕がある様子で立っている。まるで危険はないとばかりに。

「あ、もしかして君が依頼人?」

「ああ」

 それをうけイルミも成程とばかりに、パンと手をあわせた。
 イルミも殺気や警戒を収め、先ほどまで苦しいほどにのしかかっていた重圧感が薄れる。
 一触即発という状況は脱したのだが、意味が分からない。
 え? えっ? と、ただ混乱して、頭が右へ左へと動く。

 依頼人? ターゲットとして来ているわけじゃない?
 じゃあ、ターゲットは?

「じゃあ、こいつがグスタフ=バークレイ?」

「そうなるな」

 イルミによって発言の権利がなくなったものの、蚊帳の外においやられ一時的な安全圏を味わっていたグスタフは名前を呼ばれ目を見開いた。
 彼はゾルディックの名を、恐ろしさを知っている。

 イルミが鋲を持ち直視された事で、第六感が働いたのか、恐怖に顔を青く染めた。
 何かを言おうとしても言葉は出ない。
 腰はまだ抜けたままで、尻をつきながら最後のあがきでずりずりと、少しでも逃げようと後ろに下がった。
『ひぃ』と口が動く。

 だがそれもわずかな事。
 一瞬の後、再びイルミの鋲の洗礼を受けることになる。今度は変形とか生易しいものではなく、命がつみとられ動かなくなった。

「これで依頼達成だね。約束の口座に入金よろしく」

「ああ、わかった」

「え?」

「あー、よかった。ミルには連絡とれないし、ゴトーは忙しいで情報手に入んなくて、ターゲット見つけるの面倒だと思っていたんだよね」

「え、あ。ごめん?」

 オレだけが状況についていけない。
 いや、なんとなく状況は読めてきてはいるんだ。

 要はクロロがイルミに、グスタフ=バークレイの暗殺依頼をだした。
 シルバが旅団の暗殺の依頼を受けている途中でも、イルミがグスタフの依頼を受けることは可能だ。イルミは依頼をうけ、グスタフを殺しにやってきた。

 それはわかる。
 だけど、なんでこうなっているんだ?
 オレの知らないうちに……。

「……クロロ、コレどういうこと?」

「確実な手を使っただけだが?」

 しれっと言うが、いかにも企みましたという笑みを浮かべる。

「ゾルディックに依頼していたら、オレらが来る必要まったくなかっただろ!」

 そもそもゾルディックに狙われているというのに、依頼を出すという思考になんで行き当たるんだよ。
 オレは言っていないはずだ。
 ゾルディックと共闘という形になって困るのは自分なのだ。

「ふーん。わざわざ始末するのに、時間指定するから何を考えているのかと思ったらそういうこと」

 何かに思いついたのか、イルミが言う。
 時間指定とか、まるで鉢合わせが目的のような……。

 というかそれが目的?
 鉢合わせによりばれた事。それはオレとイルミが兄弟だということ。ゾルディックの人間だということ。
 そりゃ隠していたけど、関係者ってばれているだろうなとは思っていたけど。
 こんな風に完全に暴かれるとは思っていなかった。

「そんなことより、ミルキ」

 抑揚が人より少ないが、いつもよりワントーン低くなった兄の声。
 嫌な寒気を感じ、オレはさび付いたように首を動かす。

「今朝の伝言覚えてる? それにトレーニングにしては遠出しすぎだよね?」

 鋲を構えながら、無表情にこちらを見る。
 だけど気配でわかる。
 非常に怒っている。むしろ殺気を感じる!

 今朝の伝言。「旅団には手を出すな」それは非常によく覚えている。
 だけどオレは、手は出していない。係わっているだけだ。

 なんて言い訳、今のイルミには通じそうもない。

「いやこれはその」

 汗がダラダラと流れる。

「言い訳は無用だよ? ミルにはもう一度教育しなおす必要がありそうだね」

 オレは無駄だとは思いつつも、脱兎のごとく逃げ出していた。
 逃げた足元に鋲が突き刺さり、軽快な音をたてている。

「ああ、クロロだっけ? サービスで父さんには連絡しておいてあげるよ」

「助かる」

 クククと笑う極悪人の声が聞こえたような気がしたが、オレは一時しのぎの逃走だと分かっていても、必死にイルミから逃げ回っていた。

 くそ。
 クロロのバカ! アホ―――!!



 ▽



 2週間後、オレはある町外れの廃墟にきていた。
 なぜ2週間後かというと、あの後イルミにつかまりそのまま拘束され、逃げ出せられなかったからだ。

 古びたビルの扉を蹴り開けると、砂埃が盛大にまきあがる。
 壁はひび割れ黒ずみ、床には瓦礫が転がっている。
 そんな部屋の中、ひとつの瓦礫の上に腰掛ける影があった。

「説明してよね」

 影は読んでいた本を閉じ、顔をあげる。
 逆十字のコートを羽織、額にも同じ逆十字の刺青をしている男。クロロだ。

「元気そうだな」

「そりゃもう、おかげさまで拷問訓練は楽しかったよ」

「そうか。それはよかったな」

「どーこーが、よかったように聞こえるんだ? 一度耳の穴開通しなおしたほうがいいんじゃない?」

「敬愛する兄とのスキンシップだろう? 楽しそうじゃないか」

「敬愛はしているけどね。時と場合によるさ。で、説明してもらおうじゃないか」

 少なくとも、イルミとは初対面だった。今までやり取りがあったわけじゃない。
 状況がどうにもならないようなモノじゃなかった。
 ゾルディックに依頼していたら、オレたちがわざわざバークレイ邸に出向く必要はなかった。
 そしてオレはクロロから何も聞いていない。

 何を考えての事だったのか、聞かせてもらわないとすっきりできそうもない。
 回答次第では、オトモダチの縁だって切っていい。
 そもそも我が家の方針として、友達を作る事には否定的なのだ。
 オレは話を聞くため、クロロをここに呼び出して現状に至っている。

「何が知りたいというのだ?」

「2つ教えてほしい。オレに黙ってゾルディックに依頼をした理由と、イルミに時間を指定した理由を」

 クロロは本を置き、説明を始める。

「依頼の理由を簡単に言うと、お前の台詞を信用するにはリスクが高かったという点だ。
 普段の状況ならばともかく、オキニイリがゾルディックだと予測がつき、敵がゾルディックという状況では信用ができない。とはいえ打開策があったわけじゃないから当用はしたが、他に手を打つ必要があった」

 確かにオレが普段見せるオキニイリという存在の特別具合を知っていて、オキニイリがゾルディックと気がついたならば信じられないのも当然だった。
 オレは黙って続きを聞く。

「あの時の発言の内容で2つ確認する事があった。1つは、依頼人を殺して暗殺が取りやめになった事例があるのか? もう1つは、ゾルディックに組している人間が依頼人を殺せるのか?
 前者はシャルの調べですぐわかった。過去に少数だったが実例を見つけ出した。
 だが後者は流石に過去事例をあさって見つかるものじゃない。だから、シルバ以外のゾルディック家の人間イルミ=ゾルディックの番号を見つけてもらい、グスタフ=バークレイの暗殺依頼を出した。難なく受理され、2つめの裏がとれたわけだ」

「オレが裏切る可能性があると、思われていたんだな」

 2つめの裏を取る必要性。
 それはオレが手伝う振りをして、裏切っているんじゃないか。という可能性を見出していたからだろう。一緒に行動しながら、シルバに場所を告げる事もできる。嘘のターゲットの居場所を伝え罠に嵌めることもできる。
 あえて明言はしなかったけど、おそらくクロロならオレがゾルディックと縁があるのは気づいているとは思っていた。その上で納得してくれた、なんて甘い考えをオレはしてしまったわけだ。

 ちょっと悲しくなるが、仕方ない。
 保身を考えれば当然だ。

「否定はしない。だが、もし許されないことならば巻き込むわけにはいかんだろう。活路はわかったんだ。オレ1人でも充分な状況だった」

「え?」

「おかしいか?」

 あ、え?
 じゃあなんだ? クロロはオレのことも考えていたということか?
 オレが本来手を出してはいけない領域の事をやっているならば、手を引かせようと思っていたというコト?
 それは、オレに対する気遣いだ。
 ……わかりにくい。クロロの優しさだと思うけど非常にわかりにくい!

「じゃ、じゃあ、時間指定した理由!」

 照れくささをごまかし、もうひとつの疑問を投げかける。
 なぜイルミと鉢合わせさせる理由があったのかを。

「予測はついているだろう? 運がよければ、ラクルという人間の正体を知ることができる。
 ゾルディックの一族だという可能性が一番高いような気はしたが、信憑性が薄くかんじてな。なにしろゾルディックにしては弱いし、抜けているし、ククルーマウンテンにすんでいないし、情に流されやすいとか色々とな……」

 楽しそうに酷い台詞をはく。

「余計なお世話だ。これでも直系だ」

「父と兄と比べるとずいぶん毛色が違うようだ」

 どうせオレは弱いよ。わかってる。
 分かっているけど、他人に言われるとぐっさりと心がえぐれる。

 オレはむかついて、小刀を投げるがにべも無くクロロには受け止められる。
 クククと笑いながら、小刀を放る。
 カランと音をたてて、廃墟に転がった。
 元々当たるとは思っていないが、悔しいのは変わらない。

「まあ怒るな」

「怒るわっ。別にそんな事をしなくても」

 むしろさっきの優しいと思った感情を返せ。と言いたいぐらいだ。

「言うか?」

 切り替えし問われる。
 ……そう改めて聞かれると、うなずけなかった。
 確かにオレから言うことはない。

「約束しているからな。調べる事はできない。なら鉢合わせさせてみれば面白そうだと思ったわけだ。お互いが偶然ばったりならボロが出やすい。実際予想以上の事が分かったな」

 約束とは最初にクロロとかわしたオトモダチの条件の事だろう。
 盗賊の癖に彼はなんだかんだと約束を守っている。最初の条件だけじゃなく、それ以外でも細かい事でも。
 確かに世間的には盗賊だし、悪人だし、人を簡単に殺したり、非情なところも有る。オレに対しても意地悪だし、命令するし、オレを利用したり、嵌めたりしたりする。
 だけど約束は守るし、気遣いも見せるし、オレを評価してくれるし、裏切らない限りクロロも裏切らない。美点も挙げればそれなりにあって……。やっぱり、嫌えないんだよな。

 はぁ。

 大きくひとつ溜息をこぼす。

「“人間は、起こることよりも、起こることに対する見解によって傷ついてしまう” 前にそんな本を読んだな。満足いく答えは得たか?」

「そうだね。内容によっては、縁を切ってやる! って勢いで来たんだけど……」

「ほう?」

「結局オレは縁を続けるのに不満じゃないらしい」

 オレは直視しながらその台詞をはくのは、少し気恥ずかしい気がしてそっぽを向いて小さく答えた。
 ククククとクロロが笑う声が聞こえて、口に出した事を後悔した。

 それにしても、家族が裏の人間でそういう人に偏見はないとはいえ、どうしてよりによって危険人物を気に入ってしまったのか。自分に問いたい。
 でも弱い人間ではアキレス腱にしかならないし、善人ではオレを受け入れられないだろうから、ある意味こうなるのも仕方ないのかもしれない。
 とりあえずは、イルミの説得からスタートかな。まあクロロは支払いのいいお得意様になるだろうし、きっとそんなに難しくはない。

「そうか。ではラクル。お前の本当の名は聞かせてくれないのか?」

「ミルキだよ。ミルキ=ゾルディック」

 イーっ! とほんのちょっぴり悪態をついて、廃墟を去るオレの足取りが少し軽く感じたのはたぶん気のせいだと思いたい。

<ボツネタ>