■1:箱庭 前
「本当によく寝てるよな」
こいつも寝汚いんじゃないか?
そうやって笑う声に、紅を宿す存在は何かを感じてか、眉間にしわを寄せ身じろぎする。
ルークはベッドで眠るアッシュの横に座り、その顔をしみじみと眺める。
髪は乱れており、いつものように固めてあげられてはいない。
前髪が乱雑に落ちていて、まるで鏡を見ているかのようだった。
オリジナルとレプリカという間柄でありながら“ルーク”を認め、同じ敵ヴァンを倒すという目標に向かって歩んだ存在。
アッシュとルークは交わり離れながらも、同じ方向に向かって赤い軌跡を描いて突っ走ってきた。駄目だとおもう場面はたくさんあった。死を覚悟した時も、死を願われた時も、告げられたときも。それでも走り抜けた二つの焔。
「アッシュが居たからオレが生まれて、そして叱ってくれたから“生き”て“証(あかし)”を残す事ができた」
優しく包まれたぬるま湯の人生で終わったなら、ルークはここまで満ち足りていなかった。
生きるという事は、呼吸する事ではない。行動する事だ。
ルークにはそれが分かっていた。
ファブレでの軟禁生活の時間は長い。だが思い返すと、旅をしていた2年間の事ばかり。自分が生きたと実感を持っていえるのは、その間だけだったのだ。
そして密度の高い2年間は充実したもので。
(オレはいい人生だったって思っているよ――)
ルークは優しく、アッシュの前髪を撫で上げる。
見慣れたデコが現れ、眉がゆるむ。
「早く起きなよ。でこっぱち」
そして、今度こそ幸せな生を。
◇
ヴァンを討ち、ローレライの解放時ルークが見たものは、エルドランドの大地から落ちてくるアッシュの身体だった。ルークは近くにあるアッシュの体をそっと抱き寄せ、悲しみに目を伏せる。
その存在を内に感じ、彼の死を予測したものの、確固たる事実を突きつけられ、胸に痛みが走った。
自分が死ぬのはいい。覚悟していたことだ。でも、被験者までこうやって死ぬ現実に哀しみが満たされた。
オレもお前も居なくなったら、“ルーク”が誰一人居なくなってしまうじゃないか。
父と母。そしてナタリアのことを考えると、申し訳なかった。せめて被験者は残してあげたかったのに。
そんなおりだ。ローレライが感謝の言葉とともにひとつの提案をしてきたのは。
『おまえの音素と、取り込んでしまったアッシュの意識をその体に返せばアッシュは生き返ることが出来る。幸い大爆発という現象が起きている。それを後押しすれば……。
だが、ルーク。そうしたら、お前を構成する音素のすべて失うことになる。おまえの約束を果たす為に地上にもどることが出来なくなるぞ?』
「オレもすでに死んだんじゃないのか?」
『確かに大半の音素は剥離している。しかし幸いおまえの体は第7音素のみで出来ている。私の音素を分け与えればいい。まだ生きているのだ、問題はない。
だがな。ルーク。お前の身体はすでに剥離を覚えてしまった。今音素を補充しても、おそらく10年は生きられまい』
「……そっか。じゃあ、悩むことはないな。アッシュを生き返らせてくれ」
『よいのか?』
炎のような音素の塊であるローレライは顔というパーツがないのに、少し悲しそうにルークに確認を問いかける。
その声はお前がもどってもいいのだぞ? といっているようで、ルークは表情を緩ませた。
「少しでも生きたい気持ちはあるけどさ。
しょうがないよな。レプリカの数年と、被験者の存命。比べられないじゃないか」
『そう割り切れるものでもなかろう?』
「いいんだ」
散々言われてきたではないか。残すべきはオリジナルだと。
ルークは腕の中の紅の髪をそっとなでる。
「それにさ。オレは今までこいつの居場所。奪い続けてきたから、だから返したい。
きっと父上も母上もオレが帰るより、アッシュが戻ってきたほうがきっと喜ぶ」
誰かが聞いていたら、「そんなことない」と否定の言葉が飛ぶことだろう。ファブレ夫妻はルークもアッシュも隔たり無く両方の帰還を待っている。優先順位などつけていないと。
だが残念ながらこの場には人間の気持ちには疎い意識集合体しか居なかった。
ルークの悲しい思い込みを否定してあげられる存在はいなかったのだ。
「ローレライ。オレさ。悲しいし、生きたいし、約束を守りたい。そういう気持ちは否定できない。だけど悲観した気持ちだけじゃないんだ。
退屈ばかりの毎日だったらこうは思えなかった。だけど、オレは最後の2年辛いことばかりで、投げ出したいと思うこともいっぱいあったけれど。今思えば本当の意味“生きて”いたのは此の時だけだったんだ。オレが悩んで嘆いて、でも笑って喜んできた道筋は確かに残っていて、オレが生きた証はちゃんと残っているんだ」
レムの塔やエルドランド。和平の使者としてたったことも。
すべてルークが生きてきた軌跡。
やり遂げたことは大きく、人の記憶に焼きついた。今後の歴史に残る偉業をやりとげた。
「だからいいんだよ」
ルークは自分に言い聞かすように、ローレライを安心させるように微笑んだ。
そしてローレライの力によって、アッシュを癒していった。
アッシュの体が癒えるたびに、ルークの体の音素は減っていく。
経過とともに、透けていく体。覚悟はしていても視覚で認知してしまうと、ざわめく感情に取り乱しそうになる。それをじっと耐え、アッシュが癒える事を願った。
音譜帯の中は時間感覚がおかしく、どれくらいの時間がたったのか分からない。
だが自分の肉体が、時々薄れる状態から、すべてが常に透けている状態になったときには、彼は静かに涙した。
ルーク・フォン・ファブレのレプリカの生涯が終わりを告げたのだった。
ルークの体を構成する音素はすべてアッシュへと受け渡されたが、ローレライはルークという存在を完全に消したくなかった。
開放を頼む為でもあったが、今まで見守り続けてきたその存在はとても愛しかった。
力を駆使し、ルークという意識の欠片を寄せ集めた。
レプリカという紛いモノの体は無く、ローレライと変わらないただの意識の集合体の塊という状態だが、彼の意識は確かにそこに残った。
肉体に残る記憶はアッシュに流れたけれど、感情と思考、それに付随する記憶は意識として残った。
『アッシュが癒えたら起こすから、今は眠れ。ルークよ』
ルークはローレライによって作られた紛い物の箱庭で眠る。
その心の傷が癒えるまで。
そして1年の歳月が過ぎた。
箱庭の一室のベッドでアッシュは眠る。
昏睡の眠りではなく、いつ目覚めてもおかしくない状態。
そんな彼の横には朱の存在がいて、優しく見つめながら髪を撫で上げていた。
「早く起きなよ。でこっぱち」
「……レプリカか?」
与えられた刺激に、アッシュの覚醒が促され、閉ざされていた翡翠の瞳が開かれる。
寝ぼけたその声に覇気はない。
だが声が返ってくるとは思わなかったのだろう、ルークは目に見えて驚いていた。
「うおっ」
置かれた手が跳ね上がる。
「最初の一言がそれとは、よほどオレに喧嘩を売りたいらしいな」
アッシュに眉間に深い溝が集まり始め、彼は低い声で嘲る。仕方ない。置きぬけに聞いた第一声が「でこっぱち」なのだ。
「そういうわけじゃねえ。たまたまだっ」
「ほう。たまたまということは、他にもオレに対して悪態をついていたということか?」
アッシュは見下ろされている状況に不満を覚え、横たわる身体を起こそうとした。
「――――っ」
だが無防備かつ急に動かした身体は拒否反応を起こし、アッシュに激痛が走る。
中途半端におきあげた身体は、痛みによって倒れおちようとしたところを、ルークによって支えられる。
「お、おい。無理するなよ」
ルークの手により、背を支えられながら、アッシュは自らの胸を押さえた。
痛いわけではない。
傷のない不自然さに気が付いたのだ。
「おいっ! これはどういうことだ!」
アッシュはエルドランドで胸から背にかけて貫かれた。
その記憶ははっきりと思い出せる。
だが何故今その怪我がない。
むしろ何故今こうして生きている?
懐疑と焦燥、幾多の感情がアッシュに沸き起こり、混乱し狼狽する。
とりあえず相手に不満はあるが、答えを返してくれそうな存在。ルークの腕をつかみ、自らに引き寄せ問い詰めた。
「オレは何故生きている?! それに……ここはバチカルか?」
見覚えのある部屋に気がつき、彼は言葉を続けた。
この部屋は、ファブレの屋敷にとても似て居るのだ。
なんとか生き延び、戦いの後に連れ戻されたのか?
「違うよ。アッシュ。ここはバチカルじゃない。音譜帯だ」
ルークは、アッシュの背にクッションを寄せ集めながら答える。
「てめえはよほどオレを馬鹿にしたいらしいな」
「馬鹿になんてしていないさ。ここは間違いなく音譜帯だ。ローレライの作った箱庭の中だけどな。嘘だと思うなら外を見てみればいい。空がない。あるのは深淵の空間と漂う音素だけだ」
ルークはつかまれた手を、丁寧にはがし、窓に視線を向ける。
それに促されアッシュも同じように窓の外へと視線を向けた。
もちろん内心はまったく信じていなかった。
だがその先に見たものによって、意識を変えざるを得なかった。
そこには空というものがなかった。あるのは深淵というより虚無というのがふさわしい何もない空間。夜空を彩る譜石も、屋敷の先に見えるはずの違う建物の影も、山も、木が作り出す優しい緑の葉も、一切なかった。
ここは虚無の世界に浮かぶ、ただのプレハブの建築物。箱庭であった。
「そうか。ここは死後の世界というやつか」
「違うって。音譜帯だっていったじゃん。アッシュって意外と物分りが悪いなぁ」
ルークがへらっと笑い、アッシュの眉間のしわが一気による。
彼の頭に「きさまを認めたのは間違いだった」そして「やっぱりこいつは一度殺るべきか」と、いくつか不穏な感情が浮かぶ。
「オレは死んだ」
「そうだな。オレもアッシュの体に剣がささっている姿見たよ。胸元から背に向けてぐさーっと……」
「てめえ――っ!
ふんっ! まあいい。これ以上はぐらかして話が進まないのも拉致があかん。いいからエルドランドの事を話せっ」
その台詞にルークはそっと目を伏せる。
「説明しなくても、アッシュは知っている。思い出せる……と思う」
「何を馬鹿な……」
言葉を続けようとして、アッシュはふと黙る。
彼は気が付いたのだ。自分のものではない記憶に。
思い出せばよみがえる、ヴァンとの決闘や、ローレライの解放。
そして、その後に起こるローレライとルークが交わした取引。
ルークが死を選び、自分を生かした。
そのやり取りを思い出していた。
「てめえっ!」
アッシュの顔が怒りで緋色に染まる。
クッションにもたれていた体を感情だけで揺り動かし、ベッド際にいたルークの胸倉をつかみ上げる。
だがいかんせんうまく動かない体は力がうまく行き渡らず、そのまま倒れてしまう。
アッシュの体重はそのままルークへと乗っかり、体重を支えきれずに一緒に床へと倒れこむ。
馬乗りのようにアッシュが上のマウントをとり、意地と根性で胸倉をつかみ睨みつけた。
「オレが、このオレがっ! てめえみたいな屑に生を譲ってもらって喜ぶと思っているのか?! オレは自分の信念で動き決断してきた。後悔なんて何もありゃ しねえ! 死んだとしてもそれは自分の決断の結果だ。受け入れている。今更何かを犠牲にして生き返りたいだなんて、かけらほどにもおもっちゃいねえんだ よ!」
アッシュは例え受け入れがたいものでも、どのような苦境でも、彼は燃え盛る火のように激しく生きぬいてきた。燃え尽きるまで激しく、鮮やかに。
その人生に満足していた。
たとえ19年という短い人生だったとしても。
ルークは静かに、上に乗りかかるアッシュの罵倒を受け入れた。
彼もわかっているのだ。アッシュの断りなく勝手に決断したと。勝手に人の人生を狂わせたと。そして必要のない負い目を抱えているのだ。
「ごめん。それでもオレはアッシュに生きてほしい。もう終わったことだし、諦めて?」
今更決断のしなおしなんて出来ない。すでに選択の瞬間は終わり、結果は出ているのだ。
「くそっ! 感謝なんてしねーぞ」
「いらないよ。勝手に決断したことで相殺ってことで」
決して相殺にならないだろう案件。
片方は死に、片方は生きた。それは大きな差。
そしてアッシュは知っている。
どんなに彼が生きて居たかったかを。何度も死に追い込まれながらも、足掻き生を望んできたかを。
「レプリカ風情が粋がりやがって――」
つかみあげた手を離し、アッシュはルークの上から転がるようにどいた。
不恰好な様子だが、仕方ない。まだ彼の体は思うように動かせない。支えもなく座ることができず、ベッドの横面にもたれかかり、なんとか体制を整える。
「ごめん」
「何度も謝るな。うっとおしい」
「そっか。そうだね」
「おい、お前は戻れないのか?
確かにお前の記憶で、オレを生かすという選択を見た。だが、お前はここに居るじゃないか」
アッシュは静かにルークに問いかけた。
先ほどの激情とは打って変わったものに、アッシュも気恥ずかしさを感じ、視線をわざとはずす。
ここが音譜帯なのは、八歩譲って認めよう。だがアッシュから見たルークは、自分と何も変わらず、死者だと言われても何かの勘違いかと思えた。
それならば自分と一緒にもどればいいのだ。
ルークだけが死を甘受し、ここに残る必要はない。
「まさか、アッシュも寂しいと思ってくれるとか?」
怪訝な顔をして、ルークが首をかしげる。顔には「天変地異? 明日は雨?」と失礼な事が書いてあるようだ。そもそも音譜帯に天変地異も雨もない。
「馬鹿かっ! 一人で帰ったらあの陰険眼鏡や、ヴァンの妹がうるさいし。何よりナタリアが悲しむ」
「ほーんとアッシュって、二言目にはナタリアなんだなぁ」
「一度死にたいらしいな。いや、むしろきちんとオレが引導を渡してやるっ!」
「あははは」
眉間に皺をよせアッシュは怒鳴りつける。
自分のレプリカはこんな性格だったか?
こいつ死んで性格かわっていないか? そんな疑問が浮かぶ。
彼の覚えているルークはこんな軽口をたたく真似はしなかったはずだ。
アクゼリュス後、一気に性格が変わったように、再び死に直面して軽薄に変わったのか?
アッシュは頭を抱えたくなる。
「ありがとう。アッシュ。
でも、オレ死んでるからトドメは指せないし。それに戻ることは不可能なんだ」
「多少音素が足りなくても、きっと陰険眼鏡がなんらかの方法を見出すかもしれないだろう? 何もしないで諦めるなんて情けない真似をするんじゃねえ」
「違うんだ」
眉尻を下げながらも、ルークはしっかりとアッシュの顔を見つめ断言した。
「オレ、この箱庭の中じゃないと、姿を保っていられない。ここでも気を張っていないと体がすけるんだ」
言葉にあわせ、ルークの姿がどんどん薄くなり、向こうの家具が透けて見えるほどまでになる。そして陽炎のように揺らめくのだ。
アッシュは息を呑んだ。
これは確かに生者とは言えない――。
今までが普通で、からかってくる口調ゆえに。ルークがすでに死んでいる存在だと認識できなかった。だが改めて見せ付けられ、アッシュは乗せる言葉が思いつかない。
ただ息を飲み込み、ルークを見つめる。
その様子に、ルークは薄く笑った。
気をしっかりと持ち、肉体の存在をしっかりとしたものに直し、アッシュに気にするなと訴えるかのように。
「地上にいったら、きっと何にも形にならないと思うんだよね。
だからさ。アッシュ。お願いがあるんだ」
「――――約束は嫌いだ」
「分かってるよ。だけど簡単な事だからさ。
オレの代わりに、オレを待ち続けてくれるみんなに伝えてほしいんだ。「帰れなくてごめん」って。……待ち続けるのは辛いからさ」
「――っ」
「自分で言え」と言いたかった。だけど言えずに、言葉を飲み込む。すでに出来ない状況だというのは理解したのだ。
苦情のひとつでさえ、その痛々しさにきっともう告げることはできないだろう。
「分かった。必ず伝える。約束だ」
「ありがとう」
約束は嫌いだった。
だけど、アッシュは意図的にその言葉を口にした。
ルークもそれに気がつき、嬉しそうに微笑んだ。
「もう少し眠ったらいいよ。きっと、明日にはもう少し音素がおちついている」
ルークはアッシュに手をかし、床からベッドの上へと誘導する。
長い会話は負担だったのだろう。アッシュは悔しそうにしながらもすぐに眠りに落ちた。
アッシュの瞳が完全に閉じられたのを見届けた後、ルークの姿は揺らぐ。
「オレも少し疲れた」
姿を確立させる、その事は音素が抜けきったルークにとって、負担を強いるものであった。
■1:箱庭 後
再びアッシュの目が覚めたとき、傍らにルークの姿は無かった。
さすがに四六時中そばに居るわけじゃないな。と彼は体を起こしてみる。多少の倦怠感や痛みを感じるものの、前回より格段に動かせる肉体に、ほっと息をつく。
自分の体を資本に生き抜いてきた身だ。やはり、体が自由に動かせないのは、不安をあおるものらしい。
ベッドから足を下ろし、窓の外を眺めてみると、庭に座り込むルークの姿が見えた。
「やはり透けているのだな……」
空気にとけてしまいそうな、ルークの後ろ姿。
罪悪感がチクリと彼を刺す。ごまかすように布団をかなぐり捨て、その部屋を後にした。
「おい。何をしている」
庭にでて、座り込むルークの背に声をかける。
気配を消していたつもりはなかったのだが、何かに気をとられていたのか、アッシュの声にルークの背が目に見えて震えた。
透けていた身体は、瞬間的に確かなものへと切り替え、ゆっくりと振り返る。
その後に見えた表情は驚いたものでありながら、自信がなくおびえているようで、肩が丸まって保身しているように見えた。その姿は、自分がレプリカと知ったあのアクゼリュスのときのようで……。
「お前はお前だ。それがどんな状態になろうと、だ。気にしねえから安心しろ」
アッシュは息をひとつ吐き、肩をすくめる。
「なんか、アッシュが優しい。一度人間死ぬような思いをすると性格変わるって本当だったんだな」
「それはてめえの方だろうが! で、これはなんだ?」
ルークの表情が穏やかになったことに、ほっと一息をつき、彼が今まで見ていたものに興味が移り変わる。
本物のファブレ邸であったなら、訓練にも使えるほどの大きな庭なのだが、この場所は少々縮小された上に、中央には湖のようなものが広がっている。
ような。とつけるのはその湖の異様さに起因する。湖面の先には水の淡色ではなく、地上と思われる風景のかけら。
「地上の風景そのまま。ローレライが見えるようにしてくれたんだ。退屈しないようにって」
ルークは捻った体を戻し、再び湖の先にある地上を見つめる。
アッシュもルークに並び湖面を覗き見る。
その先にはバチカルの風景を写していた。
懐かしいバチカルの姿に、目を細める。さらわれて以後、7年間ヴァンに止められてよりつけなかったバチカルだが、やはり見ていると懐かしさを感じ故郷はここなのだと実感せざるを得ない。
そんなバチカルの街は少し浮ついた感じがあり、アッシュは眉をひそめる。
「何か祭典でもあるのか?」
「成人の儀だって」
「ナタリアのか?」
今の正確な日付はわからない。だが街がここまで浮つく理由を考えれば、それぐらいしか思い当たらない。
だが帰ってきた答えはアッシュの思いもよらないものだった。
「いや。ルーク・フォン・ファブレと、アッシュ・フォン・ファブレの」
「はあ?」
「あれからもう1年たったんだ。なあ、アッシュ。起きてきて大丈夫だったのか?」
「いきなり話を変えるな。オレとお前の成人の儀ってどういうことだ。オレ達はここにいる」
「えー。変えてないよ。うん。もう元気そうだな。安心した」
ルークはすくっと立ち上がる。
アッシュは答えないルークにいらだつ。何せ情報が少なすぎて意味が分からない。
彼がもつルークの記憶は、アッシュを生かすと決断したところで終わっており、その後の記憶はないのだ。
箱庭に入ってからのことは何一つ共有しておらず、アッシュには分からない事だらけだった。その状況でまともに答えないルークに、アッシュがいらだつのも無理のない話だ。
「あ、そうだ。約束を追加してもいい?」
「甘えるなっ! むしろ話を混ぜるな! いい加減にしろ。屑がっ!」
「父上と、母上をよろしく頼む。バチカルに帰れとは言わないから、オレの分も親孝行してくれよ。レプリカで騙し続けたオレなのに、1年も待ち続けてくれて、本当、オレ。なんて感謝していいのか分からない。でも何もしてあげられない」
「父と母を大切にするのは当然だ。言われるまでもない。それに何個も約束をしてやるつもりはない。
それより、いい加減に情報を渡せ。ルーク」
「ありがとう。アッシュ。
うーん。情報といってもオレもよく分かっていないんだ。箱庭のことも、2年すぎたことも伝えたし。オレも、つい先日まで寝ていたし。ちょっと早く起きたから、その分多く地上の様子を見られただけでさ。
あ。そうそう。後はこの湖に飛び込めば、地上に戻れるらしいよ」
「旅の扉」みたいだよねー。とルークは笑う。よくよく聞くと、旅の扉とは飛び込むと違う場所にいけるという、絵本の単語のようだった。
「そんなもの知るか」
「ということで、アッシュ、元気そうだから、早速親孝行してきてよ」
にこっと笑って、ルークはアッシュに近づく。
何か嫌な気配を感じて、アッシュの腰が引いた。
「えいっ」
軽い掛け声とともに、アッシュの背が押される。湖の方向へと。
「はっ? ちょ。まっ」
バランスを崩し、倒れ掛かるアッシュ。今一歩の所で、ルークの腕につかまりバランスを保っている。
「さっきの答えだけど、どうも故人の冥福を祈り称え、成人を祝いましょう。みたいな感じっぽい。それだったらさ、一人でも存在している状態で成人の儀、やらせてあげるのが親孝行だと思わない?」
確かにそういうことならば、二人がこの場に居るのに成人の議が行われるのもわかる。そして誰もいないセレモニーより、アッシュが一人でも居たほうがファブレ夫妻は喜ぶだろう。
それは分かる。分かるが急に後ろから押すとはどういうことだ。
本気でこのレプリカは一度死んで頭の回線がずれたのではないか?
「だから、急だけど。アッシュ元気でなー!」
ニコニコとルークは、必死に掴みバランスを取っているアッシュの腕を無情ながら解いていく。
体調不和を起こして力の入らないその指は、簡単にルークによって開かれる。
「勝手に決めるな。この屑があああああああああああ!!!!」
アッシュは背から倒れて、落ちていく。
落ちるアッシュを見るルークの姿は、先ほどとは打って変わった寂しげな表情を浮かべていた。
箱庭で最後にアッシュが見たのは、その風景だった。
湖にタタル渓谷の様子が見える。
海とエルドランドを眺める、セレニアの花が彩るカーペットの上に、先ほどまでここに居たアッシュの姿が見える。
無事にたどり着いたようだった。
本当はバチカルに送りたかった。
だけどこの湖が通じているのは、今は稼動していないパッセージリングの存在する場所のみ。
そしてバチカルに一番近いザオ遺跡ではなく、タタル渓谷にしたのは訳がある。
「アッシュはいったのか?」
「……うん。今日帰ってもらうの、色々と都合よかったし」
ルークは湖畔で背をまるめて小さくうずくまっていた。そしてその状態のまま振り向かずに答える。
ローレライは気にもせず、音素を揺らした。
タタル渓谷には、みんなが一斉に集まっており、さらにアルビオールが来ている。うまくピースが合えば、アッシュへ頼んだ約束はすぐに果たされ、さらに父と母が主催する悲しい祭典に間に合う可能性も出てくる。そうなれば祝い事として華やかにしてあげられるだろう。
賭ける価値はあった。多少体調が悪かったとしても、無理して送るだけのものが。
体自体はローレライのお墨付きで、すでに治っているのだから問題ないはずだ。
「もう、無理はしないでいいぞ?」
「別に無理なんかしてねえ」
「そうか」
ローレライは嘘だと分かりながらも肯定し、そのまま近くで立ち続けた。
ルークはひたすらうずくまっている。
すけた体は小刻みに震え、時々混じる嗚咽。
ルークはアッシュが言うように、性格を変えたわけでも、変わったわけでもなかった。
それでも軽口を連発し、アッシュをからかうようにマイペースで続けていたのは、単純に自分の抑えた気持ちを隠すため、肩肘をはって強がっていただけなのだ。
負担がかかると分かっていても、気を張って体を維持していたのと同じように。
ルークはアッシュを選んだ事を後悔していない。
だけどやはり生きたかった。
師のような信頼も、兄弟を越えた友情も、ほのかに芽生えた恋心も、何より変えがたい仲間という友情も。すべてが大切で、再び彼らと会いたかった。
彼らと交わした約束を、自らの手でかなえたかった。
そして湖から見える、父と母の姿やいまだに待ち続ける仲間の姿も、ルークにはうれしいと同時に酷く辛かった。
それらすべてが、彼の生への執着を呼び戻した。
すでにルークは肉体を持たない意識だけの存在になってしまったこと。それがどうしようもなく悔しく空しく、自分を苛めるのだ。
気を張っていなければ、醜態をさらしてしまうほどに。
だから必死に強がって、肩肘を張り続け、道化を演じた。
でももうその必要もない。
だから取り乱していいのだと、ローレライは言う。
ルークはそれでも一筋の焔だった。
幼き心のはずなのに、取り乱し醜態を晒すことはない。
ガイもナタリアも両親もいない寂しい箱庭の中。
「好きなだけ、泣くがいい」
そのローレライの声に促され、ルークは一人湖畔で肩をまるめて、涙を落とした。
タタル渓谷の風景が、幾度と無く波紋で揺れた。
三人称チャレンジ品。文章がうまく出来ていなくてごめんなさい
3部作の一番最初
真面目にエンディング後捏造。最後はハッピーとまではいかないけど、バッドエンドではありません